呪術廻戦に推しがいない人間から見た五条悟
当方本誌派のため、最新話読みました。
結論から言うと、五条悟…五条悟〜〜〜〜〜ッッッ!!!!!!(好き)になりました。
自他ともに最強と認める五条悟がパックリと死んだことに多少ショックはあったものの
死んじゃった…というよりかは、これどうすんねん…というショック
それよりも五条悟をようやっと好きになれてよかったという気持ちが大きい。
なんでかっていうと、私は今まで五条悟という人間をどう受け取っていいかよく分からなくて。
七海のような理想の大人でもなく、夏油のように分かりやすい人間の脆さもなく。
フワフワとしたノリの軽い言動とは裏腹に、最強を折らせない身体能力と精神面の強さや切り替えの速さが随一だったり、封印されても自分より明らかに弱い皆に託せる良さもあり、生徒を守るために上ともバチバチやれて。
かと思えば過去編を見てクソガキやんけ…と思えばお前そんな辛い過去があったんか…でも大人になったのだな…と思えばやっぱり変なところで適当だったり…こいつはどこに着目したらいいねんという感じで。
でも最新話を読んで、ようやく腹落ちした。
「どこに着目したらいいのか」ではなく、ただただ全部五条悟だったのだと。
上にあげた、私が五条悟に抱いていた印象を分類すると、
・元来の五条悟(俺)
・伏黒甚爾戦で覚醒した"最強の呪術師"としての五条悟
・夏油の件で教師を志した五条悟(僕)
の全部の面が独立することなく混ざりあっているんですね。
これらは時系列に並べようとすれば直線上には描けるんですが、人間というものはきっかけがあっても全部まるごと変わることはないので、その比率はシーンによって変化する訳で。
それで私はごっちゃになってた。
と、ここまでは理解はできた。
ただこれだけだと、正直読者目線としては
「いや何宿儺側のフォローしとんねんまずは生徒や翔子さんのこと考えろや」
と思ってしまい…(あくまで私は!)
だが、ここで七海の言葉が効いてくる。
だって初っ端の言葉なんだと思います?
「気色悪い」ですよ。
こんなこと直接言える人間あの世界で七海以外にいる?
何せ七海は「こっち側」の人間だから、五条悟に対する感想が非常に読者と近い。
そのため、こちらが抱いたもやもやを七海が的確に言葉にしてくれる。
「どこの武将ですか、到底現代人とは思えない」
「五条悟は呪術を自分の欲のために使っていた」
「肯定はしないけど同情はする」
「信用しているし信頼している、でも尊敬はしていません」もそうだけど、七海は多分作中で1番五条悟をニュートラルに言語化出来ているキャラクターじゃないだろうか。
強さで短所を覆い隠すのではなく「強いは強い。ただそれはそれこれはこれで、○○に関してはどうかと思う」と淡々と言える。
一度呪術師の世界から離れたからこそ、一定の距離感から見た五条悟を七海は認識出来ているのかもしれないな。
最新話の五条悟へもそう。
七海の言葉を借りることで、随分五条悟のことを理解できるようになった。
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五条悟による宿儺戦の感想は、遺された側・世界のことを考えると、まるで武将のような、時代錯誤めいた精神すら感じる。普通だったら最初にその感想は出ないだろう。
とはいえ、夏油離反後、孤高故に孤高の侘しさを1人で抱えていた五条悟だからこそ、同じ孤高側の宿儺に対して思うこともあるんだろう。
呪術を楽しみ自分を満足させるために使っていたような人間なら尚更だ。
そしてそんな五条悟だからこそ、同じ人間を、同僚を、生徒を花と呼び、生き物として線引きをしてしまうのだろう。それについても思うところはある。
が、「花を散らす・枯らす」最恐ではなく、「花を花として育てて咲かせて愛でられる」最強として皆と向き合ってきたのは、見下しではなく、紛れもない愛だろう。
生徒に思いを馳せないのは、教師として花たちに向き合ってきたから、獄門疆に閉じ込められた時や七海の死ぬ間際の時のように「託す」ことが出来たからじゃないだろうか。
教師としての五条悟は満たされて死ねたのではないか。
五条悟の感想全てに肯定は出来ないが、その心境に至るまでの諸々に同情はできる。
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七海の言葉を読んで、あくまで私は五条悟をこういう風に解釈した。
そして、五条悟お前本当そういうとこあるよな…😕とモヤモヤしてた部分が、五条悟お前本当そういうとこあるよな😄!バシッという感じで昇華できた。
逆を言えば、七海がいなかったら五条悟を理解出来ずによう分からんわ!で終わってたかもしれない。マジでありがとう七海。
で、ここからは五条悟というよりは逝ってしまった皆を見て思ったんですが。
なんか…さっぱりしてんなお前ら!!思ったより後悔してねえじゃん!!!!
この4人の死に方って全員状況が状況だったし、「呪術師に悔いのない死は無い」という言葉もあったし、何より夏油がね…死んでるけど死ねてないどころか悪用されまくってるし。
その最期を見て、今まで勝手に「皆後悔があるに違いない」と思い込んでいたんですが。
残酷でやることを遺していった死に方=後悔が残る死ではないと、ちゃんとぶん殴られてぐわー!なりました。
「悔いのない死かどうか」は最期を看取った人間ではなく本人が決めるもの。
いや言われてみれば当たり前なんだけど、そうか…と目からウロコがポロンポロンでした。
そして全部終わった後、皆が向かいたいと思うのは南(昔の自分)なんだなぁ…という事実が1番苦しかった。
灰原だけは亡くなったのが学生時代なので、ちょっと意味合いが変わるだろうが
青春を亡くしてから否が応でも北に進まざるを得なかった皆、大人として振る舞い大人として描かれるがまだまだ20代で若年だった皆。
ようやく責務や肩の荷を下ろして、大事な過去を懐古することが出来たんだと。
ようやく置き去りにしてきた青春に向き合える時が来たんだと。
上で教師としての五条悟は満たされて死ねたのではと書いたが、ここのシーンでは素としての、人間としての五条悟が満たされたんじゃないかな…
結局1番楽しくて眩しかったのは青春時代だったんだな…切り替えて前を向いたように振舞っていても青い春をずっと大事に抱えてたんだな…そりゃ五条悟も必死で生徒たちの青春を守ろうとするわな…と…もう皆でデジモンやってて欲しい。
長々と書いたが、私にとっては納得のいく最期だった。寧ろ五条悟を好きになれたので僥倖かも。
これで高羽のギャグで五条悟が蘇ったらジャンプ編集部にカチコミします。