狂気に魅了されたのは
このブログではナポリの男たちの新クトゥルフ神話TRPG「狂気山脈〜邪神の山嶺〜」の最後までをネタバレしています。
ご注意ください。
本当に遅ればせながら、ナポリの男たちの狂気山脈を見届けた。
ナポリの男たちの「狂気山脈~邪神の山嶺~」【クトゥルフ神話TRPG】 - YouTube
配信から既に約1ヶ月は経過しており、当時と比較すると盛り上がりも大分落ち着いた頃。
既にこのクソデカ感情を吐き出せる場所は無かった。
しかしこの感情を1人で抱えているのは無理。
このままだと私が狂気そのものになってしまう。
ということで、この備忘録を利用して私の狂気の一部を発散させてもらうことにした。
※以下、新クトゥルフ神話TRPG「狂気山脈〜邪神の山嶺〜」のシナリオのネタバレ、またナポリの男たちによる狂気山脈のネタバレが多分に含まれます。
※TRPGについての知識は皆無。
※個人の感想です。
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えべたん
登頂ですら、通過点。
「見た目めっっちゃ好み!!」
これがえべたんのキャラシートを初めて見た時の感想だった。
絶対同じような人多い、私には分かる。
設定の「ぶしつけな性格」、プレイヤーが蘭たんという事実から、最初はこの子が今回のストーリーを引っ掻き回すポジションなのかなと予想していた。
しかし蓋を開けてみればまぁ真っ直ぐで優しくてあたたかい良い子だこと。
個人的にえべたんの良さが発揮されたシーンで印象深いのは、コージーが第一登山隊を蔑ろにするような発言をした時、そしてコージーがもう山に登らないと言い出した時だ。
えべたん「コージー可愛くな〜い。さっきから」
えべたん「ウチらマジ最強だし。行けんじゃね?っていう感じがしてるから」
半分茶化すような、でも傷つけない言葉で場を和ませて、相手の意見を尊重し、優しく諭す。
コージーと一緒に登りたい、死なないで欲しい、無事でいて欲しい。
コージーがもう登らないと言い出した後長い時間をかけて説得しているのを見て、えべたんからそんな感情がヒシヒシと伝わってきて、こっちまで嬉しくなった。
でもえべたんがそんな子だったからこそ、逆にコージーは打ちひしがれてしまったのかなとも思う。
コージーはかなり自尊心が高く、今回の4人を下に見ている節があった。
そんなえべたんが、得体の知れない不気味な現象を見ても尚、あまりにも真っ直ぐに山を見据えている。
ここでコージーは折れてしまったのかなと。
でも離脱してからのコージーが再び狂気山脈への挑戦心を燃やすことになったのも、狂気山脈に真っ直ぐに向き合うえべたんを見たからなワケで。
最後のやり取りも相まって、2人間の熱い信頼関係に胸を打たれる。
えべたんを介して、コージーが大好きになった。
他のキャラクターたちと1番信頼関係を築いたのはえべたんだろう。
彼女がいなかったら、序盤で第二登山隊が瓦解していてもおかしくない。
特に好きなのは、狂気山脈の登頂を果たしたシーンだ。
道中では映え、つまり視聴者受けを意識していたえべたんが、頂上に着いた瞬間は写真のことを忘れて、志海に言われてようやく写真の存在を思い出すのがとても良い。
さらに積年のライバルであるK2に「K2さんに言われたからね」「いつかK2さんもおいでよ!」「その時はまたえべたんも誘ってね」「1回くらい行けるよー!K2さん凄かったし」と声をかけたところ、眩しすぎて目が焼かれる。
結構この時点で涙腺が限界だったのだが、その後の
えべたん「今日下からずーっとちょこちょこ動画とってたんだけど。これ本当はYouTubeに上げるつもりだったんだけど。これあげないことにしたんだ。だって…これ…なんか…この登山隊だけの思い出にしたいからあげないことにした。本当にいろいろあったし。でもYouTubeは見てね、続けるから。見て。それだけ」
で完全にノックアウトされた。
このように明るく優しい印象が強いえべたんだが、冷静に考えると彼女はとてもショッキングな場面を目の当たりにしてしまっている。
跳躍後の例のシーンである。
跳躍時、えべたんだけは危なげなく無事に着地することが出来た。
だからこそ、山に激突しながら降りてくる八木山と杉山、そして志海が山に飲み込まれるように消息を絶ったところを目撃してしまっている。
道中「人が死んでんだからさ、やめなよ」「死ぬのだけは嫌だからね」と皆の安否を誰よりも気にしていたえべたんがその様子を見た時、どんな感情を抱いたのか。
えべたん「志海さんが…志海さんが…」
と震える声で言葉を紡ぐ様子から、相当なショックを受けたことは想像に難くない。
こんなにショックを受ける状況もそう無いだろう。
ましてやそこまで難易度が高くない登山ばかり経験してきたえべたんにとっては尚更だ。
しかし彼女はその感情に雁字搦めにされることなく、コージーやK2達の身を案じ、今の自分が出来ることをやり遂げた。
強い。あまりに光。
改めてえべたんの強さを思い知らされた。
しかし、そんなえべたんは狂気山脈から帰還後、友人たちとの約束を果たして表舞台から姿を消す。
狂気山脈を登頂しただけでなく、1人だけ怪我もなく帰還したという実績で、えべたんはとてつもない名声を得るだろう。
その実績は知名度に直結するはずで、恐らく登録者数100万人を大幅に超える有名人になれるはずだ。
そんなYouTuberとして絶頂の時期に、動画投稿をやめ、仲間たちとの約束を果たしに未来へ進む。
狂気山脈から帰還した3人の中で、未来を見据え進んだのはえべたんだけだ。
八木山と志海探索に狂気山脈にも戻りはしたが、恐らくえべたんはそれに取り憑かれることはないだろう。
だが、えべたんのファンやアンチたちはそんな事情を露ほども知らない。
表舞台から姿を消した際に彼女がどんな思いを抱いていたのか、私たちとあの世界の視聴者たちは知ることが出来ない。
彼らがどれほどのお祭り騒ぎを繰り広げるか、嫌というほど想像出来る。
視聴者は恐らく、現実とネットの狭間でえべたんの欠片を探し続けるだろう。
しかしその間にもえべたんは先に進んでいく。
なぜならえべたんにとっては、登頂ですら通過点だから。
そうして"えべたん"は私たちから離れていく。
その後のえべたんを知ることは出来ないが、どうか彼女の未来に幸多からんことを。
豪華客船で世界一周の夢を叶えられますように。
そして、オーストラリアってここにあったんだと笑っていてくれればもう思い残すことは無い。
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杉山徹心
自然界最強VS人間界最強。
完全にボケキャラだと認識していた自分を往復ビンタしたい。八木山さん宜しくお願いします。
今回の狂気山脈の登山を経て、1番のバッドエンドを迎えたのは杉山だと思っている。
杉山「地球代表だ」
杉山「今回は仲間でいてやるが、お前たちの身の安全は保証できない。俺を超えたと思った瞬間お前たちは私のターゲットになる」
などと、杉山は最初こそ『覇王』らしい言動をしていた。
しかしお洒落で目のバチバチを付けてたり、思ったよりもSNSをガシガシ活用していたり、お人好しな部分がポロポロ綻んだりと、どんどん"覇王らしくない部分"が見えていった。
決定的だったのが、登山の継続を拒むコージーを泣きべそかきながら「行こうやぁ...」と誘うシーン。
時々すぎるが滲み出てるなぁなんて最初は微笑ましく思っていたが、全ての言動が杉山徹心自身のものだと考えるとそのあまりの二面性の強さにゾッとするものがある。
このえも言われぬ不気味さは杉山のみにしか感じられない。
えべたん、八木山、志海の3人が狂気を発揮するのは登山者として、つまり山に対してだ。
だが杉山は狂気山脈に挑む前から、登山者としての一歩を踏み出す前から狂気だった。
肉体と精神の強さのアンバランスさ、多くのチャンプを総ナメしながらそれでも足りず「1番を目指す」ためにモルモットに手をかけた精神状態、人が好きなのにそれに気づかず1番への道を1人突き進んでしまう自分への鈍感さ。
彼が志海と違って分かりやすく人懐こくて、仲間に関心を持つ人間だからこそ、この不均衡さが恐ろしい。
そんな杉山が狂気山脈の登山を通じて
杉山「志海が一番最初に登頂した時に1番じゃなくてもいいんだなって学べた気がする」
杉山「もう一番を目指したりしない」
と、誰かと共に1つの目標に向かって補いながら進んでいく楽しさを知り、良きライバルと出会い、自ら"1番"から脱出したのは大きな成長だ。
そもそも登山中に「帰りたい」「自信がなくなってきた…」と発言していた時点で、杉山の弱い部分、転じて素の部分は露出していた。
杉山は他の人に自分の弱さを晒したくないと虚勢を張っていた訳では無いし、この時点では弱音を吐いただけで別に心は折れていない。
実際彼は登山者としてはペーペーの初心者にも関わらず、狂気山脈に恐れを抱いて逃げ出すことも無く登頂を成し遂げた。
えべたんも言っていたが、杉山だけに焦点を当てると、実のところ杉山は自然に勝っている。
1人だけ高山病にもかからず、狂気山脈という空恐ろしい舞台で爆睡でき、登頂しただけでなく無事に帰還した。
なのに、何故彼があのようなエンディングを迎えたのか。
それは山への恐怖心ではなく『今まで築き上げてきた自分の力をもってしても志海を助けられず、狂気山脈という自然に打ちひしがれた』からだろう。
跳躍後志海が気絶した時、杉山は「助けに行けないか」「体力を分けることは無理か」と真っ先に志海を助けるために策を講じた。
そして実際に行動に起こして、失敗した。
これまでに身につけた力を尽くしても助けられなかった。
今まで生を蹂躙して数多の生物をその手にかけてきたのに、漸く得た大事な友人1人の命も守れなかった。
巨大な生物と自然を前に、彼らはあまりにもちっぽけで無力だった。
しかも杉山だけが、「狂気山脈の謎に迫る」という自身のミッションを果たすことが出来なかった。
そして彼は今まで積み重ねてきたもの、この登山で得たものを全て失った。
1番への拘りも、今まで積み上げてきた自信も、ライバルと認めた友人も、全部。
今まで自分の力を信じて突き進んできた杉山にとって、これほど闘志を失う出来事はないだろう。
その後杉山は今まで走り続けてきた道から離れ、「みんなでタピオカを飲んだ夢を見た」というあまりにもささやかな思い出を頼りに、友人たちとの居場所を作って一人待ち続ける選択肢を取る。
えべたんのように登山を続けることもなく、八木山のように志海を探しに行くこともない。
ただひたすら、もう二度と帰ってこない友人たちとの居場所を守り夢想に縋る。
こんなにも辛いエンディングがあるだろうか。
こんなにも重い選択肢があるだろうか。
あまりのインパクトに、暫く言葉が出てこなかった。
山から帰還出来なかったが本懐を遂げた志海に対して、杉山は帰還しながらも山に囚われ取り残されたのがあまりにも皮肉。
杉山は狂気を持っていたが、このメンバーの中で唯一山に対して正気で、だからこそ挫けて呑まれてしまった。
自分の弱さを認めることと、心が折れて強さに固執しなくなるのは全く別物だ。
狂気に魅入られなかった人間を最強と呼ぶのか。
狂気に魅入られながらも生き延びた人間を最強と呼ぶのか。
はたまた狂気に魅了されず振り切った人間を最強と呼ぶのか。
私には分からないけれど、折れたという意味では、杉山は負けたのだろう。
今後彼はどういった人生を送るのか。
杉山からはえべたんとは異なる不確かさと、八木山とは異なる不安定さが滲み出ていて、整理しようがない苦しさを感じる。
どうか、いつか彼が望む日々が訪れるよう願わずにはいられない。
「ハッピーエンドを求めて何が悪い」
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八木山
心の弱さが、史上最強の登山家を生んだ。
また暗そうな人が来たな〜〜なんて、最初は軽く考えていた。
配信開始直後も、暗そうだなネガティブそうだなと安易にイメージ付けていた。
しかしストーリーが進んでいくうちにその印象は180°変わった。
八木山は心配性で、度が過ぎるお人好しで、強いが故に終われない人間だった。
冷静に考えれば、行方不明の友人を探し出すために狂気とまで呼ばれている前人未到の世界最高峰を登る決意をする、この時点でめちゃくちゃ強いのだ。
彼の強さは随所で見られる。
K2の体調不良によるK2と梓ちゃんの下山に対して
八木山「ここで死なれても目覚めが悪いからなぁ…」
八木山「七浦の生存が絶望的なのは分かってる」
八木山「だから自分も一緒に下山する」
と答えられる。
友人の生存の可能性を冷静に吟味した上で、今生きている人を重視して対応できる。
第一登山隊の変わり果てた姿を見て、怯えるどころかより一層友人を助けに行く気持ちを強めることが出来る。
さらに八木山は、友人七浦が行方不明の時点では不眠に悩まされていたのに対し、七浦を看取った後はあの山脈の中で少しだけだが眠れている。
単純に考えれば、友の死に愕然とし、取り乱し、この時点で心が折れていてもおかしくない。
しかし八木山がそうならなかったのは、今回の登山の目的が『七浦が生きているか亡くなっているかハッキリさせるために捜索を行う』ことだったからだと思う。
八木山の不眠は、心配性と優しさが入り交じったが故の
「行方不明だから、七浦は死んでいるとも生きているとも断定できない」
「しかし、もしあの場所で生きているとしたら七浦はまだ苦しんでいるかもしれない」
「もしこのままだったら友人は今後も苦しみ続けるかもしれない」
という気持ちからだったのではと。
語弊があるかもしれないが、八木山は七浦の遺体を看取り安心できたのだと思う。
もう友人が苦しむことは無いと、友人の死を結末として受け止めることが出来た。
そう思ったのはナポリの男たちの生放送#️⃣147『hacchiの前世占い』で、愛する者たちの死を弔った前世を見たhacchiが
hacchi「寂しいけれど、やっぱりホッとする気持ちの方が強いです」
hacchi「もう苦しい思いをしなくていいんだなと…」
hacchi「寂しさもあるけど…もうこれ以上悲しくないなって」
と話していた内容が頭に過ったのが大きいのだが。
また八木山は、七浦を看取り気持ちを受け止め登山を続ける決心をした後、最後の関門であるピッチの挑戦中に
八木山「だんだん楽しくなってきた、登山が楽しくなってきた」
と発言している。
七浦を発見するまで、八木山にとって狂気山脈の登山はあくまで友人を見つける手段であって、目的ではなかった。
そこから友人の想いを経て正真正銘の最高の登山家になり、遂には友人の想いを遂げた。
さらに狂気山脈を制覇して出てきた言葉が
八木山「ようやく山に登る楽しさが分かった気がする。こういう気持ちを伝えたかったのかもしれん」
である。
最高の登山者すぎる、熱い、熱すぎる。
ここに八木山の強さと魅力が詰まってる。
だが七浦を看取ったあとも、八木山の心配性は終わることは無い。
いざ山脈から帰還せんと跳躍する直前。
八木山は志海に対して言葉をかける。
八木山「志海一応確認しておくが、ここに残ったりしないよな」
八木山「今度はお前が心配になってきた」
どこまでお人好しで心配性な人だろう。
そして悲しいかな、そんな人の心配ごとほど当たってしまうのだ、世の中というものは。
この志海とのやり取り後、八木山にとって最悪の事態が現実に起こってしまう。
志海の最後、
えべたん・杉山「志海ーーーーー!!!!」
八木山「三郎ーーーーーー!!!!!」
と、八木山だけ名前を叫んだ。
志海と最期の言葉を交わした八木山は彼を友人と位置づけていて、だからこそ三郎という名前呼びが咄嗟に出たのでは…と思う。
そもそも何の気持ちも持たない相手に心配という感情が湧くわけがない。
七浦を探しに狂気山脈まで足を運んだ八木山、
最初は「志海とは険悪になる予感しかしない」と言っていた八木山、
志海と最後のやり取りを交わした八木山、
最後には咄嗟に名前呼びをするほど志海に情を感じていた八木山。
志海を探しに再びあの場所に戻るのは八木山を差し置いて他には居なかっただろう。
ただ八木山は志海を探す理由を「不眠を解決するため」「目覚めが悪い」「白黒はっきりつけたい」とあくまで自分のエゴであると認識した上で、志海の結末を見届けに行く。
八木山は、七浦が遺した「まだ終わっていない」を胸に登頂を続けた。
しかし下山後も、志海との決着を付けるため「まだ終わっていない」狂気山脈に再び赴く。
しかも「もう終わり」な志海を見つけることは、恐らく二度と訪れない。
八木山は、友人のためなら最後まで「もう終わり」の選択肢は選ぶことはないのだろう。
八木山はこれからも山に囚われる。
史上最強の登山家はいつまでも山という舞台から降りられない。
彼に安息の時間が、安眠出来る日が訪れることを、遠くから祈っている。
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志海三郎
狂気を制すのは、別の狂気か。
狂気山脈配信後も、よくTLで志海の名前は目にしていた。
何か志海の良いシーンがあったのかな〜、いや逆に…と頭で考え得る限りのハッピーエンドとバットエンドを予測し、心の準備をした。
甘かった。
MVPだよ馬鹿野郎ちきしょう
最後まで見届けて頭と心がごっちゃごちゃになる中で、そりゃあ騒がれるわなぁ…と何処か冷静に考えられてる自分もいた。
最初の印象は徹頭徹尾「やべーやつ」だった。
危険な目に合えば喜び、「痛いー?」等その場でそんなこと言う!?と目を見開いてしまうような言葉も躊躇なく発言する。
ストーリーが展開するにつれて印象が変わっていったえべたん、杉山、八木山とは違い、とことんやべーやつを崩さない。
寧ろ志海を知るごとに志海が分からなくなっていく。怖い
そんな志海の印象が変わったのは、八木山と志海が悪夢を見たシーン。
志海「1人で登りたくなりましたね。みんなのことなんかどうでも良くなって。本当足手まといなんで君たち」
志海「嫌な夢見ましたね」
ここの「一人で登りたくなりましたね」「みんなのことなんかどうでも良くなって」の背景と意味を永遠に噛み締めてしまう。
1人で行くことで生と死を自分だけに完結したくなったのか、一緒に狂気山脈に臨むメンバーをどうでもいいと思っていたかったが故の自己防衛だったのか。
どちらにせよ、志海本人も気づいていないかもしれないところで3人に小さくとも感情を抱いていたことが分かって、彼のあまりの人間らしさに頭を抱えてしまった。
志海は非情で、他人はどうでもいいと考えてはいるけれど、同時に自分の気持ちに鈍感な面もあったのかもしれない。
恐らく、悪夢に出てきた志海の友人さんは「おちろおちろ」と志海の足を引き摺るような人では無かったのだと思う。
そんな人だったら志海もSAN値が削られるほど頭を悩ませないし、直ぐに受け入れて頭の中を処理できただろう。
しかしよりによって友人の方は、志海とも仲良く登山をするような、人に対して無関心な志海が友人と認識するような、良い人だった。
「おちろおちろ」のシーンはあくまで志海が、志海の頭の中で見た悪夢だ。
この夢には志海の罪悪感、苦悩を始めとした様々な感情が入り交じっていたのではと思わざるを得ない。
また登山中の志海は、危険に快楽を見出すし他人に興味を持たない(持とうともしない)が、だからといって自らの危険に人を巻き込んだり、イタズラに状況を悪くするような立ち振る舞いをしたりはしない。
過酷な状況で、手を抜かず自分がやれることは最大限にやる。
パラシュートだって人数分見付け、大いに貢献した。
危険と隣り合わせで生に向かって手を尽くしているその瞬間、志海は生きている実感を得られたのかなと。
そして、あまりにも印象的なこのやりとり
八木山「志海一応確認しておくが、ここに残ったりしないよな」
志海「いや、大丈夫ですよ」
八木山「ほんとうか?」
志海「大丈夫大丈夫」
八木山「次はお前のことが心配になってきた」
八木山「じゃあ先に行くよ」
志海「はい、いってらっしゃい」
志海の返答は「大丈夫」に終始している。
大丈夫という言葉は非常に便利なもので、イエスともノーとも答えていないのに肯定の意味に捉えてもらえることが多い。
そのため最悪の意味を裏に隠しつつ、自分は肯定していますよと相手に錯覚させることができる。
さらに「いってらっしゃい」は完全に送り出す側としてのセリフであり、後に八木山が思い出す言葉としては最悪の一言と言ってもいいだろう。
八木山を見送った後、志海が独りごちた
志海「はぁ…こんな日に限って死ぬんだよな」
この言葉が、もし志海の経験則から来るものだったら。
友人を失ったのが、今回のように絶頂を味わった直後だったとしたら。
皆で協力して狂気山脈に臨み、本人も知ってか知らずか感情を向けるようになり、前人未到の狂気山脈制覇も成し遂げた。
八木山の言葉から何か感じるものがあった可能性もある。
志海にとっては人生の絶頂だっただろう。
だからこそ「そんな最高なときに限って死ぬ。人ってそんなもんだよな」と感じたかもしれない。
ここは本当に千差万別の解釈があると思う。
その後、志海自身は山への魅了を振り切ったのに、その山に愛されたとしか思えない運命を辿った。
志海「生きてるー!!」
気絶した志海を狂気山脈から救うべく、えべたんも杉山も八木山もむつーさんも手を尽くした。
それでも志海は救いの手を何度も何度もすり抜けていった。
志海「生きたぞー!!」
志海三郎は狂気の中に消えていった。
まるで最初から志海はああいったラストを迎えると定められていたかのような、あまりにも呆気なくて綺麗な終わり方だった。
4人の中で経歴があまりにも"普通"な彼が、山も登場人物も視聴者も全員を魅了させて、全てを精算して消えた。
山に置いていかれた立場でありながら、登場人物も視聴者も含めた全員を置いていった。
1番取っ付きやすそうな表情を浮かべながら自分について多くを語らず、かと思えばふとした瞬間に人間らしい機微を零す。
志海はどんな時に何を考え、どんな心境だったのか。
最後まで見届けた今でも、本当に分からない。
無意識下で3人に多少なりとも思うところはあるが、他3人のようにそれをキッカケに価値観が変わることはない。
最後まで自分のために、自分の意思で自分のために生きていった。
そして志海三郎は、本当の孤高の人になった。
そんな人間だったらいい。
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エンディング
狂気山脈から無事帰還したえべたん、杉山、八木山。
そして狂気山脈に消えた志海。
この4人のその後について考えると、時間も脳のキャパもいくらあっても足りない。
『狂気山脈への挑戦』をチャンネル登録者増加の橋掛けにし、利用しようとしていたえべたん。
登頂直後は「YouTubeを続けるから見て」と語っていたえべたん。
そんなえべたんが、エンディング後は友人たちとの登山の約束を果たし、YouTubeを引退して表舞台から姿を消した。
1番に拘ったが故、これまで目に見える形で証明される強さを追い求めていた杉山。
そんな杉山が、下山後は夢という無形のものに縋って日々を溶かしていく。
自分の中で完結している願望に焦がれながら、寂れたタピオカ屋を開いて友人をいつまでも待っている。
八木山は狂気山脈の危険を知り制することで、これ以上犠牲者を出さないようにしたいとも考えていた。
そんな「狂気山脈に立ち入る人が出ないように」という思いは、八木山自身によって叶わないものとなった。
そして八木山の「穏やかな日々を送りたい」という夢も、今後恐らく、叶うことは無い。
そして志海。
彼に関してはあまりにも想像の余地がありすぎる。
志海が意識を失った時、体力自体は6残っていた。
あの後、気絶したままだったのか、それとも意識が戻ったのか。
少なくとも即死では無いだろう。
もし意識が戻っていたとしたら、ボロボロになった体を動かすことも出来ず、ただただ雪に体温を奪われていく感覚を味わった志海がいた可能性もあるわけで…
また、第一登山隊たち、つまり今まで狂気山脈に挑んできた人達は(原型は留めていなかったとは言え)発見されたのに、志海の痕跡は何一つ見つからなかった。
志海は狂気の向こう側に行ってしまったのか。
狂気の一部となったのか。
それとも未だあの地で狂気とスキップでもしているのか。
今回のエンディングにここまで心かき乱されるのは、このエンディングは志海本人にとっては最高な最適解であったのに対し、3人にはとてつもなく大きな傷を残す残酷な終わり方だったという救いようのない温度差があるためだろう。
1番最初に登頂を果たした志海は、その称号を握ったまま1人消えてしまった。
えべたん、杉山、八木山は報道陣や周囲の人に今回の登山について何度も語る機会がある。
その度に、3人は否が応でも志海を助けられなかった現実を直視させられるのだ。
インスタフォローの約束も、友人の痕跡を見つけることも、再びあのメンバーがタピオカ屋に結集することも、恐らく叶わない。
志海は置いていかれたなんて一欠片も思っていないだろうけど、3人はいつまでも「仲間を置いていってしまった」という自責の念に苛まれる。
志海の気持ちを考えるとハッピーエンドだが、全員の気持ちを考えると決してハッピーエンドとは言えない。
志海にとってあの舞台で終われたのは幸福だったのではと思いつつ、しかし志海が好きな自分の「生き延びて欲しかった」というエゴを捨てきれない。
エンディングに納得はしつつも、嬉しいとまでは思えない。
この何とも言えない気持ちの揺れ動きに囚われて、いつまで経ってもこの山から下りられない。
私はまだ、あの狂気山脈を振り切れずにいる。