思い出保管所

感情の吐き出し場所

呪術廻戦に推しがいない人間から見た五条悟

 

当方本誌派のため、最新話読みました。

 

結論から言うと、五条悟…五条悟〜〜〜〜〜ッッッ!!!!!!(好き)になりました。

 

自他ともに最強と認める五条悟がパックリと死んだことに多少ショックはあったものの

死んじゃった…というよりかは、これどうすんねん…というショック

それよりも五条悟をようやっと好きになれてよかったという気持ちが大きい。

 


なんでかっていうと、私は今まで五条悟という人間をどう受け取っていいかよく分からなくて。

七海のような理想の大人でもなく、夏油のように分かりやすい人間の脆さもなく。

フワフワとしたノリの軽い言動とは裏腹に、最強を折らせない身体能力と精神面の強さや切り替えの速さが随一だったり、封印されても自分より明らかに弱い皆に託せる良さもあり、生徒を守るために上ともバチバチやれて。

かと思えば過去編を見てクソガキやんけ…と思えばお前そんな辛い過去があったんか…でも大人になったのだな…と思えばやっぱり変なところで適当だったり…こいつはどこに着目したらいいねんという感じで。


でも最新話を読んで、ようやく腹落ちした。

「どこに着目したらいいのか」ではなく、ただただ全部五条悟だったのだと。

 

上にあげた、私が五条悟に抱いていた印象を分類すると、

・元来の五条悟(俺)

・伏黒甚爾戦で覚醒した"最強の呪術師"としての五条悟

・夏油の件で教師を志した五条悟(僕)

の全部の面が独立することなく混ざりあっているんですね。

これらは時系列に並べようとすれば直線上には描けるんですが、人間というものはきっかけがあっても全部まるごと変わることはないので、その比率はシーンによって変化する訳で。

それで私はごっちゃになってた。

 

と、ここまでは理解はできた。
ただこれだけだと、正直読者目線としては

 

「いや何宿儺側のフォローしとんねんまずは生徒や翔子さんのこと考えろや」

 

と思ってしまい…(あくまで私は!)

 

だが、ここで七海の言葉が効いてくる。

だって初っ端の言葉なんだと思います?

気色悪い」ですよ。

こんなこと直接言える人間あの世界で七海以外にいる?


何せ七海は「こっち側」の人間だから、五条悟に対する感想が非常に読者と近い。

そのため、こちらが抱いたもやもやを七海が的確に言葉にしてくれる。

 

「どこの武将ですか、到底現代人とは思えない」

「五条悟は呪術を自分の欲のために使っていた」

「肯定はしないけど同情はする」


「信用しているし信頼している、でも尊敬はしていません」もそうだけど、七海は多分作中で1番五条悟をニュートラルに言語化出来ているキャラクターじゃないだろうか。

強さで短所を覆い隠すのではなく「強いは強い。ただそれはそれこれはこれで、○○に関してはどうかと思う」と淡々と言える。

一度呪術師の世界から離れたからこそ、一定の距離感から見た五条悟を七海は認識出来ているのかもしれないな。


最新話の五条悟へもそう。

七海の言葉を借りることで、随分五条悟のことを理解できるようになった。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

五条悟による宿儺戦の感想は、遺された側・世界のことを考えると、まるで武将のような、時代錯誤めいた精神すら感じる。普通だったら最初にその感想は出ないだろう。
とはいえ、夏油離反後、孤高故に孤高の侘しさを1人で抱えていた五条悟だからこそ、同じ孤高側の宿儺に対して思うこともあるんだろう。
呪術を楽しみ自分を満足させるために使っていたような人間なら尚更だ。
そしてそんな五条悟だからこそ、同じ人間を、同僚を、生徒を花と呼び、生き物として線引きをしてしまうのだろう。それについても思うところはある。
が、「花を散らす・枯らす」最恐ではなく、「花を花として育てて咲かせて愛でられる」最強として皆と向き合ってきたのは、見下しではなく、紛れもない愛だろう。
生徒に思いを馳せないのは、教師として花たちに向き合ってきたから、獄門疆に閉じ込められた時や七海の死ぬ間際の時のように「託す」ことが出来たからじゃないだろうか。

教師としての五条悟は満たされて死ねたのではないか。
五条悟の感想全てに肯定は出来ないが、その心境に至るまでの諸々に同情はできる。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

七海の言葉を読んで、あくまで私は五条悟をこういう風に解釈した。

そして、五条悟お前本当そういうとこあるよな…😕とモヤモヤしてた部分が、五条悟お前本当そういうとこあるよな😄!バシッという感じで昇華できた。

逆を言えば、七海がいなかったら五条悟を理解出来ずによう分からんわ!で終わってたかもしれない。マジでありがとう七海。

 

で、ここからは五条悟というよりは逝ってしまった皆を見て思ったんですが。

なんか…さっぱりしてんなお前ら!!思ったより後悔してねえじゃん!!!!

この4人の死に方って全員状況が状況だったし、「呪術師に悔いのない死は無い」という言葉もあったし、何より夏油がね…死んでるけど死ねてないどころか悪用されまくってるし。

その最期を見て、今まで勝手に「皆後悔があるに違いない」と思い込んでいたんですが。

 


残酷でやることを遺していった死に方=後悔が残る死ではないと、ちゃんとぶん殴られてぐわー!なりました。

「悔いのない死かどうか」は最期を看取った人間ではなく本人が決めるもの。

いや言われてみれば当たり前なんだけど、そうか…と目からウロコがポロンポロンでした。


そして全部終わった後、皆が向かいたいと思うのは南(昔の自分)なんだなぁ…という事実が1番苦しかった。

灰原だけは亡くなったのが学生時代なので、ちょっと意味合いが変わるだろうが

 

青春を亡くしてから否が応でも北に進まざるを得なかった皆、大人として振る舞い大人として描かれるがまだまだ20代で若年だった皆。

ようやく責務や肩の荷を下ろして、大事な過去を懐古することが出来たんだと。

ようやく置き去りにしてきた青春に向き合える時が来たんだと。

 

上で教師としての五条悟は満たされて死ねたのではと書いたが、ここのシーンでは素としての、人間としての五条悟が満たされたんじゃないかな…
結局1番楽しくて眩しかったのは青春時代だったんだな…切り替えて前を向いたように振舞っていても青い春をずっと大事に抱えてたんだな…そりゃ五条悟も必死で生徒たちの青春を守ろうとするわな…と…もう皆でデジモンやってて欲しい。

 

長々と書いたが、私にとっては納得のいく最期だった。寧ろ五条悟を好きになれたので僥倖かも。

 

 

これで高羽のギャグで五条悟が蘇ったらジャンプ編集部にカチコミします。

 

ポケモンバイオレット 感想・考察

 

注意!!!!!!!!!!!

ネタバレしかない

 

ポケモンのホームウェイルートをクリアした衝動をそのまま書き殴ったポケモン感想・考察です。最後まではクリアしてはいないので、もしかしたら矛盾しまくってるかもしれません。

・バイオレット選択

・授業全然受けてない

・祠?に封印されたポケモン捕まえてない

・ダイパぶりのポケモンアルセウスはやった)なので、ダイパからSVまでのポケモン知識が皆無

・めっちゃ長い

 


嫌な予感がした方は回れ右でお願いします。

 

 

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全体の感想

 


今作のポケモンは、二面性というか、表と裏というか…「輝かしく見えるものもその裏には甘くは無い壮大な出来事がある」「誰でも複数の面を持つ」点が多かったなって。

楽しいだけじゃなくいじめもあった学校、栄光だけでなく怪我による一発退場もありえるスポーツ選手、未来と現在が交差するロマンと現状が破壊されかねないリスク…

ジムリーダーと本業(?)を兼任するジムリーダーたち、上で述べたように複数の柱を持つネームドキャラたち…


1つの夢のために研鑽し続ける、フトゥー博士のような生き方もあるにはある。

けど、1つのやりたいことのために他を全て諦めたり犠牲にしなくてもいいんだよという希望と、世の中にはしんどいこともあるよ〜という社会の予行練習のような側面、どちらも描ききったのが凄いなと。

特にコロナ禍で冒険だったり学校での触れ合いだったりが難しくなっている昨今では余計に、今しか出来ないこと、今しか手にできない宝物があるんだよって教えられた気がします。


あとは、テラスタルでタイプが変えられる、見た目もその時なりたいようになれる、どのルートでも誰かのヒーローになれる等、なりたい自分になれる!を良しとした面も強かったね。

誰でも何者にもなれるし、何者だって輝ける。

主に学生時代を指す青春って、よくキラキラしているとかって表現されるけど、正に登場人物皆が誰かにとっての一等星で、キラキラしていて…みんな!!!!健やかであれ!!!!という気持ちでエンディングを見守ってました。

 


まぁあとね、純粋にオープンワールドがめちゃくちゃ楽しい。崖という崖を登りたくなるし、まだ見ぬ土地に足を運びたくなるし、こんなに広い地で偶然出逢えたポケモントレーナーの方々にちょっとした繋がりを感じるし…移動が苦じゃないのって凄いと思う。

特定のここに行きたい!って時はそらとぶタクシーを使ってたけど、純粋に探索したいな〜って気持ちだけでウロウロしてる時も多かった。

地図を見ながらここに小さな池があるな〜行ってみるか!とか、ここに離れ小島があるな〜泳いでみるか!とか、あそこに塔があるな〜いっちょ登ってみるか!とか…探検が凄い楽しかった。


だからこそミライドンとの絆も芽生えたし。

こいつ可愛いな〜たまにはサンドイッチ作ってやるか!みたいな…ミライドン2号と対峙させられた時、私(主人公)を見て頑張る決意を固めたミライドン見て普通に泣きそうになった。

こんなにパッケージのポケモンに愛着持ったのなかなかないよ!


ミライドンのこと、クールな伝説ポケモンだと思っていた時期が私にもありました。今では立派な大型ワンコ。かあいいね。

ミライドンの甘え方が犬っぽいの、幼少期のオラチフとペパーの絆を見ていたからなのかなぁとか思うとより可愛く思えるんですよ。

 


…ていうか今気づいたけど、今作ってパルデアならではの伝説のポケモンって…いないのか!?ミライドンってあくまでモトトカゲの未来形だし…

でも祠?に封印されてるっぽいポケモンもいるし、ダウンロードコンテンツもあるだろうし、今後出てくるのかしら。

それにしてもパッケージのポケモンが伝説ポケモンじゃなかったのって今作初なのかな…

 


ひとつだけゲーフリにお願いしたいことがあるとすれば、アルセウスの時みたいに色違いが出た時は何らかの反応が欲しかったです…小さいポケモンとかだとめちゃくちゃ見逃しちゃうので… (小声)

 

 

フトゥー博士


いやー…幼少期ペパーくんのことを思うといろいろ罵詈雑言が飛び出しそうになるんですが、この人もこの人でいろいろ抱えてるよなぁという…


正直フトゥー博士が初めて連絡くれた時は、なんかw口パクパクしてない?ゲーフリ急に予算無くなったんか?wって笑ってたんですけど、その節は本当にすみませんでした。

画面越しでもちゃんと機械っぽいなって分かるようにしてるのすげぇよ…

あともしかしてあの時、校長も博士が既に博士では無いこと、気づいたのかな…

 


主人公を始め、ペパーくんネモちゃんボタンちゃんはみーんな未成年の学生。そしてそんな学生に縋らなければいけないほど追い詰められた、正確には自分で追い込んでしまった大人のフトゥー博士。


冷静に考えると、主人公もこの3人も、みんな何かしらか数本の主軸、柱を持ってる子達なんですよね。

主人公は3つのルートを選べるという3本の柱を持ってるし、ペパーも学生であり博士の息子という現実を嫌という程自覚してる。ボタンもマジボス、カシオペアという2役を演じたし、ネモちゃんは良いところのお嬢さんであり生徒会長でありチャンピオンランクであり…と属性盛合せ。

でも、凄いことに、全員それを両立できてる。


それに対して博士は、博士であり父親という役割を両立できなかった。息子という宝物を手にしながら、自分の夢に捕われて、自由に居られなかった。そして夢に捕らわれたまま博士として死んでいった。

オリジナル博士が死の間際に何を思ったかなんて分からないけど…過去への後悔だったのか、自分の行いに悔いは無いという感情だったのか、ペパーを残してしまう悲しさだったのか、研究の最後を見届けられない心残りだったのか、AIに自分の夢を全てを託す覚悟だったのか…

 


AI博士は最後、「自分の夢のために未来へ行こうと思う」と言ったじゃないですか。これ、私(主人公)だけは"一種の自殺"であると知っている。

タイムマシンは未来にはいけるが人間ほどの質量だと帰って来れない、博士AIはエリアゼロでないと動けない…これだけの事実が揃ってしまえば、博士がタイムマシンで未来に行くということはすなわち、博士AIの死に直結することを意味する。


でもそれと同時に、未来へ行くことそのものは博士の元からの夢で…「自分の夢のために未来へ行こうと思う」はそのままの意味で、嘘ではないんだなぁ…

その裏にもっと残酷な事実を隠しながら、ペパーくんたちに「博士は未来で楽しく冒険してる」という希望のある未来を見せる。ある意味、親として最後の最後、ペパーくんに愛ある嘘をついたのかなって。


論博士は、私(主人公)に伝えている事実から、主人公だけはその真の意味に気づくだろうとも分かっているはず。でも私(主人公)なら、真実を察しつつも、いたずらにペパーくんたちを傷つけるような選択はしないだろうと信じてくれたのかなって…

そう考えるとAIの方が人情ある気がするよなぁ

 


オリジナル博士は生前、「新しく入ってきた人もすぐには信用出来ない」ことがAIを作り出した1つの理由としてノートに書き残したけど、結局自分のAIが自分の夢を止めた時のことまで考えて、自分自身も疑い続けてあらゆる手段を打っていた。

博士はどこまでも孤独で、誰も、自分のことすら信用してなかったんだなと思うと侘しい。


そんな「未来のポケモンがくることで生態系が破壊されても、それもまた自然である」と考えてた博士が、最終的にミライドンを庇って死んじゃうところを考えるともう…博士…自分でも気が付かないところでかなりの葛藤があったんじゃないだろうか。


つーかそもそも「未来のポケモンがくることで生態系が破壊されても、それもまた自然である」って考え、相当やばいというか、言葉を選ばず言うとイカれてると思うんですけど、ポケモンユーザーの間ではフトゥー博士ってどう思われてるんだろうか。


オリジナルフトゥー博士はAIのことを「合理的だ」と評したけど、ということはオリジナル博士はAIと比較すると感情的な面が強いのかな。

ペパーたちのために楽園を作りたい、バイオレット本を実現するという幼少期からの夢を叶えたい、そのためには多少の犠牲は厭わない、厭いたくないという人間らしい感情から来た価値観だったのかな…


多分、フトゥー博士がペパーを愛していたのは確かだと思うんですよね、博士はエリアゼロの研究所とコサジタウンの灯台にある研究所を行き来した訳だけど、灯台の研究所にはご丁寧に"写真が入っていない"写真立てがある。

そんでもって、エリアゼロの研究所にはオラチフとペパーが写った写真がホワイトボードに貼ってある。

これ、灯台の研究所からエリアゼロの研究所に移動する際、写真を持って行ったんじゃないかな。多少の愛がないと、わざわざ写真を運んだりしないよねぇ…と思ったり。

だからこそ元々の自分の夢であり、ペパーたちのため(と博士が望んだ)楽園作りに躍起になった。

 


ある意味、あらゆる箇所で博士の抱える二面性が現れてるのかなと思う。

合理的な博士、感情的な博士、多分どちらもフトゥー博士だったんだろうなと。

ただ、それにしても考え方が真逆、優先順位が異なるなど、オリジナル博士とAIに違いが見受けられるのも確かな訳で。

これを機械だから、人間だから、で終わらせてしまうのも勿体ない気がするんですがね〜…

 

そもそもフトゥー博士がご執心だった"未来"とはなんだったのか?

次は大穴における"未来"について考えたい。

 


"未来"のポケモン


いや〜テツノポケモンを見た時の衝撃ったらないよね!!!!!

テツノツツミを初めて見た時の感想、いやポケモンこわ!!!!!!ゲーフリこういうとこあるよね!!!!!!っていうのが第一でした。

 


まだエリアゼロに行く前は、ミライドンという名前、機械っぽいフォルムから、ミライドンは未来のポケモンなのかな?ということはパルデアの大穴は時空が歪んでいて、主人公たちの世界を"今"とするならば、"未来"の世界が独自に発展してるのかな?

にしてはヌシポケモンも機械っぽい見た目だったし…機械ってことは人工的?人間がポケモンを作り出す倫理観最悪な世界が広がってるのか?エリアゼロでフトゥー博士何やってるん?とかいろいろ考えてたんですよね。


でも、もしポケモンに未来があるのであれば。

例えば魚が両生類に、両生類が哺乳類まで進化したように。生態とか生存場所とか、そういうところが変わるんだろうと思ってたんですよ。


まさか機械の方向に行くなんて…個人的にはショックだった。だって…生物じゃないってことは…未来で今いるポケモンたちってどうなっちゃってるのって…悲しくなっちゃって。

 


でもですよ?冷静に考えて、フトゥー博士がタイムマシンを作る前からエリアゼロには機械っぽい見た目のポケモンがいたって書籍には書いてあるわけで。

え?じゃあ…結局あのポケモンたちってなんなん??っていう…未来から来たのか?タイムマシン無しで?でもそんな簡単な矛盾、フトゥー博士が見落とすか?とか…

 


そもそもの話、パルデアの大穴ってなぜできたん?ってとこなんですよね〜。地形を見るに、大穴が最初にあって周りが発展していったっぽくはあるけど、いやそんなことある?

パルデアという土地が元々あって、そこに何かが起きて大穴が空いたという方が流れとしては自然じゃない?とか思ったり…?


ラスタルの結晶が大穴にしかないのも気になる。まぁ要は、大穴の中だけ環境が違すぎるんですよね。先天的なものなのか、後天的なものなのか。何によって開けられた穴なのか。

伝説級のポケモンたちが戦ったからとか、巨大な力を持つポケモンが穴を開けたとか、天変地異によって大地が変わったのか…

それによって、大穴の環境が今現在どのようになっているのかを考えるヒントにもなると思うんだけど。


もしかしたら大穴の中の環境が本当は"今"で、主人公たちが生活しているところは"過去"なんじゃ?とか。

あとは大穴の中は何らかの原因で、独自の次元空間が発達していて、時の流れそのものが我々の世界とは違うのではとか。例えば、それこそ過去、現在、未来が同時に存在する空間だとか。いや過去は違うか…バイオレットにおいては、あくまで現在と未来。


でもそうなると、そこに途中から足を踏み入れた、それこそ我々やフトゥー博士のような人間の時空は狂わないのか?とか、

そもそも現在未来が併存していたなら、フトゥー博士が望んでいた楽園は最初からそこにあった訳で、そんな残酷なことある?とか…

現在未来が共存する世界におけるタイムマシンの役割はなんだったのか?とか…

 


結局のところ、タイムマシンで連れてこられたポケモンは「何の」世界からきたポケモンなのか?に尽きる。

フトゥー博士は未来から来たと言っていたけど、もし大穴に現在未来が共存するならば、そもそもタイムマシンで連れてこなくてもいるわけで。ということは、フトゥー博士が見たことないポケモンがタイムマシンによってこちらの世界に来たのであれば、未来から来たとは言えないわけで。

 


うーーーんと考えた結果、辿り着いたのはパラレルワールドからきたポケモンという可能性もあるか?ということだった。別の世界線というか。

 

過去現在未来という縦軸だけでなく、並行世界という横軸もある。とすると、あのタイムマシンは縦軸ではなく、あくまで別世界に繋がっており、別世界における時間軸を行き来してたのでは、とか。

でもそうなると「未来に行く夢を叶える」とタイムマシンで消えていったフトゥー博士の夢が叶ったのかというと微妙になるので…いや叶ってはいるんだけど…なんか…私の考察だとフトゥー博士が不幸になってしまうな…これ以上悲しい目に合わせたくないのでもう考えたくない…

 


大穴における時空


いつの間にやら、未来のポケモンから大穴における時間軸に話がズレてしまった。

1回ここはひとつ冷静に考えてみよう。

まずは判明してるところから大穴について推測してみる。

1つ目は、エリアゼロで発見できるプレート。


初見、これは光円錐を表してるのかしら?という印象だった。(シュタインズゲートで習った)

光円錐とか相対性理論とか正直難しくてよく理解出来てないけど、要は過去から未来に向かって進んだ光が、いつか一周回って過去に戻ってくる、ということだったような。

引用するとこんな感じ。

 

光円錐 - Wikipedia


で、これを見ると分かる通り、時間と空間という要素がキーとなってくる。時間と空間…パルデアという名称…なんとなくポケモンに似た記憶はないか?

私はどうしてもパルキアディアルガがチラついてしょうがない。というか、タイムマシンという時間と空間を移動するマシンがある時点で、ディアルガパルキアに通じるものがある。


また、バイオレットブックの円盤のポケモン?のページにも「宝石よりも光かがやいていた(穴埋め推測)」と書いてあるし、キラキラのテラスタルという概念がまかり通っているパルデアにおいて、宝石をチラつかせる要素は多くある。

宝石…?宝石と言えばダイヤモンド・パールだよなぁ!?!?と私なんかは思ってしまうわけで。


なんかしらかの形で、ディアルガパルキアは関係してくるのかな…とは思うものの、それ以外は結局分からない。

もしパルデアの大穴において普通とは異なる時間の歪みがあったとしても、シンオウ地方にいるディアルガパルキアには関係ない可能性もあるし…


シンオウ地方のモデルの北海道、パルデア地方のモデルのスペインの間に、歴史上何か無かったのかなぁと調べたりもしてみたが、私の検索能力では特に何もヒットしなかった。シュン。

 

 

…切り替えて別の方向性から。

次は円盤のポケモン。正確にはポケモンとも断定できないわけだけど、あくまで今回はポケモンだという体で話を進める。


で、このページ、文字がところどころ読めなくなっている。なんとなく推測で埋めたところ、こんな感じになるのかな?

 


「観測隊員とはぐれたとき 大穴の奥底で私は不思議な物体を見つけた気がする

ポケモンなのか生きているのかそれすらわからない謎の存在

彼の外角は六角形が多層的に重なった構造になっており 宝石よりも光かがやいていた

その形はまるで円盤のようだ」

 


図には、円盤のポケモンだけでなく、他の衛星と見られる星々が書かれている。その中央で光り輝く円盤のポケモンという位置関係で描かれているわけだが。

これ…要は太陽では?円盤のポケモンはエリアゼロにおける太陽のような役割なのではないだろうか。

実際、エリアゼロには夜が来ない。


円盤のポケモンを太陽のような存在だと認識すると、図に描かれている王冠にも少し説明がつく。

というのも、太陽に薄い雲がかかったときに、それらの周りに縁が色づいた青白い光の円盤が見える大気光学現象。この現象を光冠と呼ぶのらしいのだが、これは別名コロナとも呼ばれる。

今はコロナと言うとウイルスの方に繋がってしまいがちだが、「王冠」という意味を持つ言葉だ。

 


また円盤のポケモンは光り輝いているという。

光と言えば、太陽だ。

太陽光の波長も関連があるのかなと推測する。

太陽光線の可視光線の端の色は紫色(紫外線)と赤色(赤外線)だ。

紫色と赤色…そう今作のタイトル、バイオレットとスカーレット

 


衛星に囲まれている恒星らしい図、"光"の観点、王冠の意味を持つ光冠という現象…これらのことから、円盤のポケモンは太陽に慨するものなのではないか?と思う。

調べたところ、スペインは「太陽の沈まぬ国」とも呼ばれたらしく、そこも関連してるのかな、という印象を持った。

 


そしてもう1つ。図を参考にすると、円盤のポケモンのしっぽのような部分には船もある。船、というより航海も、今作のポケモンに大きく関係している要素だ。

そもそもネモ、カシオペア、ペパー(これはどちらかというとペッパーかも)はどれも航海時代に関する単語だし、ジムマークも船っぽいし、読み込み画面に出てくるのもコンパス。宝探しも如何にもという関連ワードだ。

博士AIが最後に残した「ボン・ヴォヤージュ(良い旅を)」も、船旅に関連する…と考えられなくもない。まぁ、これは単純に主人公たちの今後を応援するための言葉という側面が強いだろうが。

スペインは大航海時代を代表する国だし、そこも関係しているのかな。

 


さらに、円盤のポケモンに関しては、どの記録も黒く塗りつぶされ、どの人の記憶も曖昧になっている。

円盤のポケモンを表してるのであろう言葉が尽く塗りつぶされているところと、ヘザー博士の記憶が曖昧な点が多いところを考えると、恐らく円盤のポケモンは自身に関する記録・記憶に手を加えられる能力を持っているのかな?という推測もできる。

いやそれだけでも十分恐ろしいけど。

 


また博士の手記によると、円盤のポケモンの存在によってエネルギーが結晶化している…つまり、円盤のポケモンによってテラスタルが起こっていることが判明する。

もし円盤のポケモンが自身に関する記録・記憶に干渉できるほどの力を持っているとすれば、ラスタルや結晶体を通じて何かを操ったり、手を加えることも可能なのではないだろうか?


実際、博士AIが楽園防衛システムとやらに乗っ取られた時、博士の体が結晶に侵食されていく様子が見られる。

これは結晶によって物体を操れることを示唆しているのではないだろうか。


そう考えると、上で「オリジナルフトゥー博士と博士AIに乖離が見られる」と考察したが、これはAIの機械らしい合理的な判断とオリジナル博士の人間らしい感情的な部分の違いだけではなく、テラスタルによる洗脳の差にもよって2人に違いが発生したのではないか?


AIにとっては機能の向上の恩恵が大きかったテラスタルも、生身の人間の博士にとっては何らかの悪影響を及ぼすものだったとか…

例えば、AIと違って呼吸が必要なオリジナル博士はエリアゼロの空中にキラキラと舞うテラスタルの一部(欠片?破片?)を少しずつ体内に取り込んでしまい、テラスタルに内部から侵食されてしまった…とか…

つまり、テラスタルは人体にとっては毒だった、という仮説。

 


さらに、テラスタル・毒…と考えた時に思いつくのは、キラフロルだ。

キラフロルの図鑑説明はこう。

 

「毒エネルギーが結晶化した花びらは テラスタルの宝石に似ていると最近判明した」

 

さらにキラフロルはどくげしょうという特性を持ち、相手の場をどくびし状態にする、という性質も持つ。

…つまり、これって、テラスタルの宝石にも、キラフロルの毒にも似た性質があるとも考えられるのでは?

ラスタルの宝石を体内に摂取してしまうと、人体にとっては毒であり、さらに円盤のポケモンとも繋がりができてしまうため操られることが可能になってしまう、とか…


ちょっとオカルトすぎるかな…でもないとも言いきれないんじゃない?という感じ。

怖いけどな!!!

 


…と円盤のポケモンについて考えてみたが、いろいろ推測できる点はあるものの、やはり決定的な要素はない。


まとめると、公式資料から大穴について考えられるのは、

・夜が来ないのは円盤のポケモンが太陽の役割を果たしているから?

・光円錐が関わっている?となるとディアルガパルキアも関わってくる?

あとはペパーくんが「天国」といったところから、そっちにも関係があるかもしれないな?

位のことしか分からない。分からないよ!!!!

 

 

総括


さて、いろいろ考察してきたが、結局のところ分からない!!!!が結論になってしまう。

というか、考えれば考えるほど分からないことが多すぎるし、分からないのはこれだけではない。


・「事故」はなんだったのか

・事故を起こしたポケモンは誰だったのか

・ペパーたちを襲ったポケモンは誰だったのか(もしミライドンやポケモン図鑑に載っているテツノ〜の子達が犯人なら、ペパーが「こいつら!」とリアクションしてるはずなので、彼らとは別ポケモンだと考えられる)

・何故公表されてないはずのテツノ〜の子達のポケモン図鑑が存在するのか⇒何故ジニア先生はこれらのポケモンたちの存在を知っていたのか

・やたらと強調される六角形は何を意味するのか

・円盤のポケモンは現在どこにいるのか

・プレートはいつ作られたのか、何者が作ったのか

・ミライドンが最初からボタンに懐いていたのは何故か

・大穴に財宝は本当に存在するのか

・第4ユニットを壊したのはなんのポケモンだったのか

・ミライドンは何故急に野生のポケモン相手に暴れたのか

 


キリがない。とんでもない。全然わかってない。

…………DLCを待つ!!!!!!!!!!!!(今までの考察はなんだったのか)

 

 

 

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いや〜ダイパぶりのポケモン、楽しかった!!

まだまだやるけれども、ある程度終わったら今まで出てたポケモンに手を出すのもありだなぁ。

 


ちなみに私の推しポケモンはデカヌチャンとチリちゃん、アオキさんです。

まだまだデカヌチャンとイチャイチャするぞ〜〜〜

 

ゲーフリ、頼むからジムリーダーや四天王たちと写真撮れる機能つけてください。

DLC待ってます!!!!!!!!!!!

 

OMORI 感想・考察

 

 

⚠️こちらの記事ではOMORIのストーリーからエンディングまで全てネタバレしています⚠️

 

未プレイの方はご注意ください

 

 

 

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omoriを通じて抱いた感想、考察の掃き溜め。

文章ごちゃごちゃです。

 

 

 

 

オモリ


鍵盤に刻まれたomoriが夢の中で自分の名となり、格好も白黒鍵盤をモチーフにしたような衣装だったの、サニーの潜在意識によるのかもと思って。


マリがピアノの練習ばっかりで皆とあまり遊べなくなって面白くなくて、でも皆は練習しろ頑張れって応援するばかりで…


1番夢の中のアイテムで印象的だったの『プレゼント』なんですが、「思っていたのと中身が違う!→いらいらになる」っていう効果で、そんなことある!?ってやけに覚えてて。


これもしかしたら、皆で一致団結して買ってくれたプレゼントがバイオリンだった時の内なる感情の一部だったのかな…と思ったら切なくなった。

サニーは多分、バイオリンよりも皆がバイトしていたその時間一緒に居たかったりしたのかな…って。

でも皆大事な友達だから、バイオリンも大事にして。


そんな折事故か意図的か…これも迷言はされていないけれど、バイオリンが壊れて、マリに…多分怒られたんだろうなぁ。

そこからの事故…本当に居た堪れない………


罪の意識、マリへの贖罪、いろんな感情が具現化して"オモリ"になったのかなって。


そんな中、夢の世界で"サニー"に声をかけてくれたマリ、きっとそういうことなのかな…と思う。

 

 


"なにか"


あの黒い1つ目は、ずっとオモリ・サニーといて、脅かすような見た目をしているかと思えば、バトル中に「ずっと足踏みしてるんじゃない、サニー?」「いろいろあったもんね…くよくよ悩まないで…何が大事なのか、しっかり見分けて、それに集中して!」「愛してるよ」と背中を押すような肯定をしていたり、ずっとなんなんだろうと思っていた。


サニーの罪悪感、恐れ、不安、後悔、いろんな感情の集合体だと思ってたけど、あれはあらゆる意味でマリ自身だったのかな。


首吊りさせたマリの髪の毛の間から覗き見えた見開いた目は、オモリじゃなくとも一生忘れられないだろう。

ずっと脳裏にこびり付いて、逃避先である夢の中にも出てくるぐらいには強烈な記憶とトラウマになってたんだと思う。

と同時にあれは首吊り時のマリであるから、サニーを大事に愛していたマリ自身でもあるわけで。


病院でバジルと笑顔で再会したすぎるの背後からなにかがいなくなったのは、どんな形であれ前に進んで、ほんのひとかけらでも自分を許すことが出来たサニーとバジルを見て安心したんじゃないかな。

少なくともサニーが真実の告白を通じて抱いていた罪悪感が無くなったから、だけではないと思う。


黒い1つ目のなにかは、サニーのネガティブな感情であり、死後もサニーを気にするマリの愛でもあったんじゃないかって。思う。というか思いたい。


またバジルとサニーが抱えてるなにかの見た目が大分異なる件、これはそれぞれの視点で1番強烈なシーンが元になってるからかなって思った。

サニーは首吊り時のマリだったのに対して、バジルは階段から落ちて髪がバラバラに乱れたマリなように見えて。


故意ではなく事故で突き落としてしまったサニーと、それを目撃してサニーを守るために隠蔽操作をしようと考えたバジル、2人の衝撃を受けるタイミングに誤差はあるはずで。

サニーは突き落とした時とは違い自分の意思でマリを殺した瞬間を、バジルはサニーがマリを殺してしまったところを目撃した瞬間を。


だからサニーは目が、バジルは木の根のような髪の毛のような何本もの触手?のようなものが"なにか"を形作る主な要素だったのかなぁって。


苦しかったよね。本当にもう…子供が背負えるもんじゃないよ…

 

 


現在のオーブリー


子供が背負えるものじゃない、という点では、サニーとバジルと同レベルでオーブリーも上げられると思う。


サニーとバジルが引きこもり、ケルとヒロは勉強や友達との交流で前に進もうとしている最中、父親がいなくなり大好きなマリもいなくなって1人でずっと思い出を反芻して忘れまいとしていたオーブリーちゃんが健気で真っ直ぐで痛々しくて泣けてくる。


マリの死を乗り越え進むこと=マリの死を忘れるというか、マリと遊んだ過去よりもマリがいない未来を優先することになる、そんな気持ちが強かったんじゃないか。

すぎるが「オーブリーは止まっていたかったんよね」みたいなこと言ってたけど、正にそれだと思う。


マリのことを大事だよと過去を大切にしたかったからこそ選択した停滞…


髪をピンク色に染めた時、どんな気持ちだったんだろう。

とてつもない奥底の感情を感じてしまって、教会でオーブリーがめちゃくちゃに言われてる時、オーブリーにこそ大人が必要だろうが!?!?!??と怒りが収まらなかった。


お母さんも廃人のような様子だし、彼女も思いっきり感情を出せるような、大人に寄り添って欲しい。

正直子供たちだけで抱え込んで修復し合う傷の域を超えてるんだよ。

これからは頼んだぞ、大人。

 

 


バジルとサニー


バジル…本当に心の底からサニーのこと大好きなんだなって。

あの歳で(あの歳だからこそかな?)親友が姉を…事故現場を目撃した時に、隠蔽しようと共に罪を被ったその強い気持ちは生半可なものでは無い。

しかも4年間も離れ離れになって、自分も苦しんで、誰にも何も言わず、なにかに怯えながら、それでもずっとずっと耐えてきたんだ…強いよ。


「バジルを助ける?」の選択肢後、本当に、本当にバジルも…もしかしたら…と思ってたので、自分の足で立ってるバジルを見て本当に心底安堵した。

あの後、問答無用でバジルとサニーのバトルが始まって、助けるを選んだのに傷つけあうことしか出来ないなんて…でもそれも必要な過程なのか…とグッと耐えた。


実はどうやらあそこで助けるを選ばない場合、バジル、サニーは自害するエンドもあるらしいですね。そんなのってないよ。


しかもサニーが病院の屋上から飛び降りるっていうエンディングもあるらしい。

鬼か?


高所恐怖症を克服した結末が、マリと同じ転落死(しかもサニーの場合は完全に自殺)だなんて…

その場合バジルが1人で自分の口から真相を言えるとは思えないし、オーブリーもヒロもケルも理由も何も知らないまま「なんでサニーが」「なんで俺たちばっかり」ってとことん苦しむんだろうな。

お母さんも「愛してるよ!」って、きっとサニーにもいいだろうと引越しを決めただろうに、何で一緒にいてあげなかったんだとか、自責の念に生涯苦しむんだろう。

すっ救いが…ひとかけらもない!


そう考えると、やっぱり1度傷つけあってでも、今のあの二人がきちんとぶつかり合うのは必然であり必要であり鍵だったのかなと思う。


サニーが病院で目を覚ましてぶわっと涙を零した時、本当に良かったって、泣いた。

もう感情を出していいんだよ。

写真や回想を見る限り、サニーが泣いたのってあの日以来無かったみたいだから、もういいんだよって…

 

バジルと再会して、今までには見た事なかったような綺麗な顔で笑ったサニーを見てまた泣いた。

真相を知って何が正解か、何を優先すべきか分からなくてごちゃごちゃになったけど、

夢でも現実でもサニーのにこにこやるんるんって凄く不器用で、バジルも現実世界では張り付いたような笑顔で。

そんな2人が最後に安堵やいろんな感情が入り交じり本音で出た自然な笑顔を見れた時に、漸くこれで良かったんだって思えた。

 

 

 

オモリVSサニー


オモリVSサニーの戦い、というより対話、というよりオモリ(サニー)の自傷と後悔が辛くて辛くて聞きながらずっと泣いてた。


あんなに素晴らしく皆から愛されていて自分も愛し愛されていたマリという人間を自分なんかが殺した、さらに友達も巻き込んで隠蔽し不幸の渦に巻き込んだ、今告白しても何も事態は好転しないだろう、何をしてもそれは自分のためだけで周囲の友達は苦しむことになる、死ぬべきは自分だったのに、自分は死ぬべきだってずっとずっと自罰的で。


オモリもずっと屈しなくて…

というより、オモリは最後まで屈してないんだよな。

グッドエンドでもサニーが演奏して、オモリがサニーを抱きとめて包丁を捨てて消える。

決して殺したわけでも倒した訳でもない。

乗り越えた、という表現が一番しっくりくるオモリの終わり方。


オーブリーがどんなに感情を押さえ込んでいたとしてもいつかは溢れてしまうと言っていたけれど、サニーのそれがあのバトルだったんだと思う。


あれに打ち勝ったサニーは本当に頑張ったし、今回漸くあそこに辿り着けたのも、現実世界でケルを始めオーブリー、ヒロ、バジルと再び繋がれたことが大きな要因なのかな。

大事な友達だから。

それだけは、絶対に嘘じゃないから。

 

 

 

エンディング後

 


ある意味エンディング後の焦点として考えてしまうのは、既に死んでおりサニーのことを今も愛しているマリよりも、遺された側であり二重の意味で被害者になる御家族やオーブリー、ヒロ、ケルたちのことで。


あれだけの言葉を聞いた後だとマリはもうサニーのことを赦してると思う。

寧ろサニーに対して、もう自分のことを許してあげて、間違いは誰にでも犯すことだけどそれから逃げないで、みたいな愛を感じる。


でも遺された側はそうはいかない。

母もオーブリーもヒロもケルも、それぞれサニーのことを愛してる。

マリが何を願っているかも、理解はしてると思う。


でも真相を知ったらどうなるか?

サニーが自問自答してたように、全てがトントン拍子で綺麗にはいかない。というより、いってはいけないと思う。


泣くかも、怒るかも、許せないかも、受け入れられないかも、また離れてしまうかも、どうしたらいいか分からないかも…正解なんてない。


いずれにせよ、罪を忘れず許せずとも、これからの2人は罪を償うことは出来るだろうから、まずはそこから。

兎にも角にもそこから、バジルとサニーの人生はまた色を少しづつ取り戻していくんだと思う。


どんな形であれ、またあの5人が共に居られればいいな。でもそれを選択するのは5人それぞれ。

少なくともサニーを始めオーブリーもケルもヒロもバジルも、過去の自分を赦して今の現実と向き合い5人それぞれが自分の道を選択できる未来へと繋げられた、というのが1番のグッドエンドたる所以なのかなと思う。

 


「大丈夫、きっとうまくいく…」

 


あの真相を知ってしまうとそうとは言いきれないんだけど、故意でも事故でも悪くても悪くなくても起こってしまったことは変えられない。

でもトラウマや自分の感情、真実に向き合って、迷っても傷ついても一歩踏み出す。


正直その一歩先が自殺だとしても、それも一種の歩みだと思うんだ。

サニー・オモリはずっと逃げたいと言っていた訳で、そこまで辛いなら死を選ぶのも君の一歩だし、

あくまでバッド、グッドの違いであって、サニーの決断には違いないと思うから。


オモリVSサニーの戦闘ではコンティニューしようとしなかろうと、オモリはサニーを抱きとめてくれる。

自分で自分と向き合って、戦って、何か決断し結果を得る。それが大事なのかなと、このゲームを通じて思いました。

 

 

 

ごちゃごちゃだけど!!!

とりあえず言いたいことは言った!!!!

 


また追記はするかも

 

 

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追記(2022/02/09)

 

サニー飛び降りエンディングを動画で見た。

想像の10倍演出が辛くて、逆説的にハッピーエンドはハッピーエンドだったんだと思い知ることとなった。


OMORIにおいては、ハッピーエンドをただのハッピーエンドと断言できなくて。

それは友達に真実を告白したとしても真実が残酷すぎるため、未来が全部上手くいくと限らないこと、またその未来がぼかされてるため想像の余地しかないことが大きいと思う。


じゃあ何故あのエンディングがハッピーエンドとされているか?は、やっぱりサニーが友達を信じて自分を許し、自分で行動を起こしたからなのかな、と思ってる。

いくつかあるルートの中で、サニーが自分を許せたのはこのハッピーエンドとされているルートだけ。

サニー自身への赦し、マリの願いの成就、バジルの救い、ケル・ヒロ・オーブリーが追い求めた真実の享受。

全員が自分の願いを叶えられたルート。


以上を踏まえてサニー飛び降りエンディングを見ると…もうなんと言ったらいいか。

全部叶えられてないんだよね。

バジルも一見助かったように見えるけど、これからはずっと1人で真実を抱えなきゃいけない。

他のルートも見た以上、このルートのバジルがどういった道を辿るかは想像にかたくない。

 


想像力となる電球を割ってしまったからか、ホワイトスペースではもう刺すことも探索もマリに会うことも出来ない。

つまり、あの世界ではもうやれることが無い。


友達と再会し、オトナリスペースから出たら…いつの間にやら1人で現実世界の、病院の屋上へ。

ここで元の場所に戻ろうとしても首を振って前に進むサニーにまた涙腺がグッとなって。

また個人的には「飛び込む?」というテキストもキツかった。

飛び降りる?よりも死に対してポジティブなテキストだなって。


サニーが飛び降りて、ただただ落ちていって、音楽は軽快かつ不穏かつ穏やか。

そしてただサニーの行動を見届けるしかないプレイヤー。

このミスマッチ?全部が違うのに、でも全てが重なってるような、奇妙で不思議な感覚でふわふわしながらも心はズンと重くて。

全て見届けてタイトル画面に戻って、綺麗な青空が背景なのにサニーだけがいなくて、あっこれダメだってなった。

あと長い長い時間を落ちながら、最後の最後サニーがこちらを向いた時物凄くゾッとした。

これってプレイヤーにも『なにか』がついた瞬間なんじゃないだろうか。

少なくともこの瞬間が頭にこびりついた私の後ろには『なにか』がいるんだと思う。

ループ、とはまた違ったどうしようもなさと、サニーを見殺しにした自分への嫌悪でぐちゃぐちゃになった。


ハッピーエンドもサニー飛び降りルートも、どちらもバジルを助け自らと戦ったことに違いはない。ただ戦いの結果が違うだけ。

どちらのルートも、もうオモリはマリと会えない。

でもサニーは、前者はお墓の前で、後者は本当の意味でのあの世でマリと会える。

 

自分を許せなかった以上、後者ルートではもうあね方法しかサニーの頭にはなかったのかな。

飛び込む?という聞き方も、もう耐えきれないという希死念慮だけではなくて、『マリとまた会える』という希望を持っていたからだと考えると余計に心にくる。

そんなことってある?苦しい。

 

…こんな具合で、他エンドを見たからこそ『あれはハッピーエンドだったのだ』と心から言えるようになった。

そしてハッピーエンドを見直して初見時より号泣した。

サニー頑張ったね、本当に頑張った。えらいよ。


今後、皆に少しでも多くの幸があることを願って。

 

 

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追記(2022/02/13)

 

現在私はうつ病を抱えてる。

そして、このOMORIをプレイ・視聴したのは多分その中でもドン底に近い時だった、と思う。

(注意事項は読んでました。プレイは勿論自己責任で)

今回は精神病の視点からサニーの精神状態、サニーとオモリについて考えたい。

 


オモリの『刺す』行為は自罰的な自傷行為なので、こう言っちゃなんだけど、事故発生時に全ての真相が明るみに出ていれば、サニーは「(自分が)死ねばいいのに」と究極の罰に行き着くまで傷つかなかったのかなと思う。

罪を告白していれば…大人に助けを求めていれば…大人が気づいていれば…たらればは尽きない。


でもバジルが隠蔽工作を行ったのも、偏に小学生男児が大切な親友を守るために精一杯頭を振り絞ったためで。


バジルは本当にサニーを大事に思っている。

一人ぼっちが嫌いなサニーのことを分かっていて、自分もそれが理解出来たから、共犯という形でサニーを見捨てず救おうとした。

どれだけ辛い目にあっても『サニーに疑いの矛先が向いてはいけない』と隠し通し、自分だって怖くて堪らないはずなのに「大丈夫、きっと上手くいく…」とサニーと自らを奮い立たせ続けた。


それでもどうして…と思わざるを得ないのは、同時にサニーがとてつもなく傷ついていることも知っているから。

サニーとオモリの戦闘はひたすら自傷と自罰が繰り返される。

バトル中どんな展開になろうと、一定まで進むとオモリが「死ねばいいのに」という言葉でサニーを切りつけ、必ずゲームオーバーになる。

そのままコンティニューを諦めると、サニーは最終的に飛び降り、つまりオモリが放った「死ねばいい」を叶えるルートへと歩んでいく。

 

屋上から飛び降りる前、それでもやっぱりと元の場所に戻ろうとするとサニーは首を振る。

何処にもいけない、やれることは飛び降りのみ。

何となくこういうルートはあるだろうなと予想していたとはいえ、この時もうこの道しか残されていないんだと思い知らされる。


自分との戦いの中ではただでさえ視野が狭まる。

そんな状態で決定的に腹が据わってしまったら、そりゃこういった結果になるよね、と嫌ながらも妙に納得しかないリアルな終わりだ。

未だに思い返すと心がゾワゾワする。

サニーVSオモリのバトルでのやり取りとこのエンディングが凄く身に覚えがあって、心にスルスル入ってきて、だからこそしんどくて、本当にキツかった。

 


またブラックスペースでバジルが尽く死にまくった件。

あれ、初見時は何で!?と事態が飲み込めなかったんだけど、サニーVSオモリの『もしみんなに真実がバレたら、二度と信用を取り戻すことはできないだろう』を見て腑に落ちた。

あの世界でバジルを追い続けた先に待っているのは、真実=自分がした罪への対峙。

裁かれたいという贖罪と真実に向き合いたくないという自己防衛、相反する考えだけど両立する感情。

後者の潜在意識が形となったのが、バジルの死による真相からの逃亡だったのかなと。

ここがまたうつ病で経験した、あちらを立てればこちらが立たない、袋小路のようなどうしようもない心象を感じて辛かった。


後は心の奥底に、ここまでの事態のきっかけとなった、バジルによるバイオリンプレゼントの発案・死体の隠蔽工作の提案に少なからず怒りや憎悪があったのかな…

こればっかりは人間だから、ありがとうの気持ちだけではどうしようも無いこともあるよね、と思う。

人間はそこまで理論的で献身的な動物ではない。

 


でもこのゲームには、最終的にサニーとバジルが笑い合えるハッピーエンドがある。

じゃあ全て解決だね!とは、悲しいかな、ならない。


ハッピーエンドは、皆に真実を告白した後車から見た外の風景が流れて、終わりへと繋がる。

恐らく引越し当日のサニー自身の視界だろう。

とても一朝一夕じゃ受け止めきれない真相が彼らを襲ったとしても、サニーが翌日引っ越すことは変えられないし、これまで離れていた月日も無かったことには出来ない。


それでもこのルートだけは、サニーは自殺以外の方法できちんと裁かれることが出来るのだと思うと、そりゃあバジルとの再会時にあの表情にもなるよなって。

 


罪が無くなるわけじゃない。

それでも罰を受けることができるし、友人に真相を隠しているという裏切りは解決する。

告白後ヒロ、ケル、オーブリーがどんな決断を下すにしろ、多分サニーとバジルはそれを受け入れるんだろう。

そしてそれが、サニーがもっとも求めていたものなのかなと思う。

そこで漸く、あの4人はスタートラインに立てる。


このゲームの肝でもあるバジルとサニーの行動を一概に責めるのは簡単だ。追及する点なんていくらでもある。

でもその裏に、子供故の無垢な感情と到底受け入れられない重い実情がある。

彼らは今でも心からマリを愛している。

オモリと旅をし、サニー達の現実を共に過ごしたプレイヤーはそれを痛いほど知っている。


やり直せる、大丈夫なんて簡単に言えないけど、でも自分を赦して罪を償い友達とまた会えた時、やっと彼らはまた新しい思い出を作っていけるようになるんだと思う。

 


バジルが再び、みんなにカメラを構えられる日が来る事を祈ってる。

 

 

 

狂気に魅了されたのは

 

 

 

このブログではナポリの男たちの新クトゥルフ神話TRPG「狂気山脈〜邪神の山嶺〜」の最後までをネタバレしています。

ご注意ください。

 

 

 

本当に遅ればせながら、ナポリの男たちの狂気山脈を見届けた。

 

ナポリの男たちの「狂気山脈~邪神の山嶺~」【クトゥルフ神話TRPG】 - YouTube

 

配信から既に約1ヶ月は経過しており、当時と比較すると盛り上がりも大分落ち着いた頃。

既にこのクソデカ感情を吐き出せる場所は無かった。

しかしこの感情を1人で抱えているのは無理。

このままだと私が狂気そのものになってしまう。

ということで、この備忘録を利用して私の狂気の一部を発散させてもらうことにした。

 

 

以下、クトゥルフ神話TRPG「狂気山脈〜邪神の山嶺〜」のシナリオのネタバレ、またナポリの男たちによる狂気山脈のネタバレが多分に含まれます。

TRPGについての知識は皆無。

※個人の感想です。

 

 

 

 

 

 

 

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えべたん

 

 

登頂ですら、通過点。

 


「見た目めっっちゃ好み!!」

これがえべたんのキャラシートを初めて見た時の感想だった。

絶対同じような人多い、私には分かる。


設定の「ぶしつけな性格」、プレイヤーが蘭たんという事実から、最初はこの子が今回のストーリーを引っ掻き回すポジションなのかなと予想していた。

しかし蓋を開けてみればまぁ真っ直ぐで優しくてあたたかい良い子だこと。

 


個人的にえべたんの良さが発揮されたシーンで印象深いのは、コージーが第一登山隊を蔑ろにするような発言をした時、そしてコージーがもう山に登らないと言い出した時だ。


えべたん「コージー可愛くな〜い。さっきから」

えべたん「ウチらマジ最強だし。行けんじゃね?っていう感じがしてるから」


半分茶化すような、でも傷つけない言葉で場を和ませて、相手の意見を尊重し、優しく諭す。

コージーと一緒に登りたい、死なないで欲しい、無事でいて欲しい。

コージーがもう登らないと言い出した後長い時間をかけて説得しているのを見て、えべたんからそんな感情がヒシヒシと伝わってきて、こっちまで嬉しくなった。

 


でもえべたんがそんな子だったからこそ、逆にコージーは打ちひしがれてしまったのかなとも思う。

コージーはかなり自尊心が高く、今回の4人を下に見ている節があった。

そんなえべたんが、得体の知れない不気味な現象を見ても尚、あまりにも真っ直ぐに山を見据えている。

ここでコージーは折れてしまったのかなと。


でも離脱してからのコージーが再び狂気山脈への挑戦心を燃やすことになったのも、狂気山脈に真っ直ぐに向き合うえべたんを見たからなワケで。

最後のやり取りも相まって、2人間の熱い信頼関係に胸を打たれる。

えべたんを介して、コージーが大好きになった。

 

他のキャラクターたちと1番信頼関係を築いたのはえべたんだろう。

彼女がいなかったら、序盤で第二登山隊が瓦解していてもおかしくない。

 

 

特に好きなのは、狂気山脈の登頂を果たしたシーンだ。

道中では映え、つまり視聴者受けを意識していたえべたんが、頂上に着いた瞬間は写真のことを忘れて、志海に言われてようやく写真の存在を思い出すのがとても良い。

さらに積年のライバルであるK2に「K2さんに言われたからね」「いつかK2さんもおいでよ!」「その時はまたえべたんも誘ってね」「1回くらい行けるよー!K2さん凄かったし」と声をかけたところ、眩しすぎて目が焼かれる。

 

結構この時点で涙腺が限界だったのだが、その後の

 


えべたん「今日下からずーっとちょこちょこ動画とってたんだけど。これ本当はYouTubeに上げるつもりだったんだけど。これあげないことにしたんだ。だって…これ…なんか…この登山隊だけの思い出にしたいからあげないことにした。本当にいろいろあったし。でもYouTubeは見てね、続けるから。見て。それだけ」

 


で完全にノックアウトされた。

 

 

このように明るく優しい印象が強いえべたんだが、冷静に考えると彼女はとてもショッキングな場面を目の当たりにしてしまっている。

跳躍後の例のシーンである。

 

跳躍時、えべたんだけは危なげなく無事に着地することが出来た。

だからこそ、山に激突しながら降りてくる八木山と杉山、そして志海が山に飲み込まれるように消息を絶ったところを目撃してしまっている。

道中「人が死んでんだからさ、やめなよ」「死ぬのだけは嫌だからね」と皆の安否を誰よりも気にしていたえべたんがその様子を見た時、どんな感情を抱いたのか。

えべたん「志海さんが…志海さんが…」

と震える声で言葉を紡ぐ様子から、相当なショックを受けたことは想像に難くない。

 

 

こんなにショックを受ける状況もそう無いだろう。

ましてやそこまで難易度が高くない登山ばかり経験してきたえべたんにとっては尚更だ。

しかし彼女はその感情に雁字搦めにされることなく、コージーやK2達の身を案じ、今の自分が出来ることをやり遂げた。

強い。あまりに光。

改めてえべたんの強さを思い知らされた。

 

 

しかし、そんなえべたんは狂気山脈から帰還後、友人たちとの約束を果たして表舞台から姿を消す。


狂気山脈を登頂しただけでなく、1人だけ怪我もなく帰還したという実績で、えべたんはとてつもない名声を得るだろう。

その実績は知名度に直結するはずで、恐らく登録者数100万人を大幅に超える有名人になれるはずだ。

そんなYouTuberとして絶頂の時期に、動画投稿をやめ、仲間たちとの約束を果たしに未来へ進む。

 

狂気山脈から帰還した3人の中で、未来を見据え進んだのはえべたんだけだ。

八木山と志海探索に狂気山脈にも戻りはしたが、恐らくえべたんはそれに取り憑かれることはないだろう。

 

だが、えべたんのファンやアンチたちはそんな事情を露ほども知らない。

表舞台から姿を消した際に彼女がどんな思いを抱いていたのか、私たちとあの世界の視聴者たちは知ることが出来ない。

彼らがどれほどのお祭り騒ぎを繰り広げるか、嫌というほど想像出来る。

視聴者は恐らく、現実とネットの狭間でえべたんの欠片を探し続けるだろう。

 

しかしその間にもえべたんは先に進んでいく。

なぜならえべたんにとっては、登頂ですら通過点だから。

そうして"えべたん"は私たちから離れていく。 

 

その後のえべたんを知ることは出来ないが、どうか彼女の未来に幸多からんことを。

豪華客船で世界一周の夢を叶えられますように。

そして、オーストラリアってここにあったんだと笑っていてくれればもう思い残すことは無い。

 

 

 

 

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杉山徹心

 

 

自然界最強VS人間界最強。

 


完全にボケキャラだと認識していた自分を往復ビンタしたい。八木山さん宜しくお願いします。

 

今回の狂気山脈の登山を経て、1番のバッドエンドを迎えたのは杉山だと思っている。

 

 

杉山「地球代表だ」

杉山「今回は仲間でいてやるが、お前たちの身の安全は保証できない。俺を超えたと思った瞬間お前たちは私のターゲットになる」

 

などと、杉山は最初こそ『覇王』らしい言動をしていた。

しかしお洒落で目のバチバチを付けてたり、思ったよりもSNSをガシガシ活用していたり、お人好しな部分がポロポロ綻んだりと、どんどん"覇王らしくない部分"が見えていった。

 

決定的だったのが、登山の継続を拒むコージーを泣きべそかきながら「行こうやぁ...」と誘うシーン。

時々すぎるが滲み出てるなぁなんて最初は微笑ましく思っていたが、全ての言動が杉山徹心自身のものだと考えるとそのあまりの二面性の強さにゾッとするものがある。

このえも言われぬ不気味さは杉山のみにしか感じられない。

 

えべたん、八木山、志海の3人が狂気を発揮するのは登山者として、つまり山に対してだ。

だが杉山は狂気山脈に挑む前から、登山者としての一歩を踏み出す前から狂気だった。

 

肉体と精神の強さのアンバランスさ、多くのチャンプを総ナメしながらそれでも足りず「1番を目指す」ためにモルモットに手をかけた精神状態、人が好きなのにそれに気づかず1番への道を1人突き進んでしまう自分への鈍感さ。

彼が志海と違って分かりやすく人懐こくて、仲間に関心を持つ人間だからこそ、この不均衡さが恐ろしい。

 

 

そんな杉山が狂気山脈の登山を通じて

杉山「志海が一番最初に登頂した時に1番じゃなくてもいいんだなって学べた気がする」

杉山「もう一番を目指したりしない」

と、誰かと共に1つの目標に向かって補いながら進んでいく楽しさを知り、良きライバルと出会い、自ら"1番"から脱出したのは大きな成長だ。

 

そもそも登山中に「帰りたい」「自信がなくなってきた…」と発言していた時点で、杉山の弱い部分、転じて素の部分は露出していた。

杉山は他の人に自分の弱さを晒したくないと虚勢を張っていた訳では無いし、この時点では弱音を吐いただけで別に心は折れていない。

実際彼は登山者としてはペーペーの初心者にも関わらず、狂気山脈に恐れを抱いて逃げ出すことも無く登頂を成し遂げた。

 

 

えべたんも言っていたが、杉山だけに焦点を当てると、実のところ杉山は自然に勝っている

1人だけ高山病にもかからず、狂気山脈という空恐ろしい舞台で爆睡でき、登頂しただけでなく無事に帰還した。

 

なのに、何故彼があのようなエンディングを迎えたのか。

それは山への恐怖心ではなく『今まで築き上げてきた自分の力をもってしても志海を助けられず、狂気山脈という自然に打ちひしがれた』からだろう。

 

跳躍後志海が気絶した時、杉山は「助けに行けないか」「体力を分けることは無理か」と真っ先に志海を助けるために策を講じた。

 

そして実際に行動に起こして、失敗した。

 

これまでに身につけた力を尽くしても助けられなかった。

今まで生を蹂躙して数多の生物をその手にかけてきたのに、漸く得た大事な友人1人の命も守れなかった。

巨大な生物と自然を前に、彼らはあまりにもちっぽけで無力だった。

しかも杉山だけが、「狂気山脈の謎に迫る」という自身のミッションを果たすことが出来なかった。

 

そして彼は今まで積み重ねてきたもの、この登山で得たものを全て失った。

1番への拘りも、今まで積み上げてきた自信も、ライバルと認めた友人も、全部。

今まで自分の力を信じて突き進んできた杉山にとって、これほど闘志を失う出来事はないだろう。

 

その後杉山は今まで走り続けてきた道から離れ、「みんなでタピオカを飲んだ夢を見た」というあまりにもささやかな思い出を頼りに、友人たちとの居場所を作って一人待ち続ける選択肢を取る。

えべたんのように登山を続けることもなく、八木山のように志海を探しに行くこともない。

ただひたすら、もう二度と帰ってこない友人たちとの居場所を守り夢想に縋る。

 

こんなにも辛いエンディングがあるだろうか。

こんなにも重い選択肢があるだろうか。

あまりのインパクトに、暫く言葉が出てこなかった。

 

山から帰還出来なかったが本懐を遂げた志海に対して、杉山は帰還しながらも山に囚われ取り残されたのがあまりにも皮肉。

杉山は狂気を持っていたが、このメンバーの中で唯一山に対して正気で、だからこそ挫けて呑まれてしまった。

 

自分の弱さを認めることと、心が折れて強さに固執しなくなるのは全く別物だ。

狂気に魅入られなかった人間を最強と呼ぶのか。

狂気に魅入られながらも生き延びた人間を最強と呼ぶのか。 

はたまた狂気に魅了されず振り切った人間を最強と呼ぶのか。

私には分からないけれど、折れたという意味では、杉山は負けたのだろう。

 

 

今後彼はどういった人生を送るのか。

杉山からはえべたんとは異なる不確かさと、八木山とは異なる不安定さが滲み出ていて、整理しようがない苦しさを感じる。

どうか、いつか彼が望む日々が訪れるよう願わずにはいられない。


「ハッピーエンドを求めて何が悪い」

 

 

 

 

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八木山

 

 

心の弱さが、史上最強の登山家を生んだ。

 

 

また暗そうな人が来たな〜〜なんて、最初は軽く考えていた。

配信開始直後も、暗そうだなネガティブそうだなと安易にイメージ付けていた。

 

しかしストーリーが進んでいくうちにその印象は180°変わった。

八木山は心配性で、度が過ぎるお人好しで、強いが故に終われない人間だった。

 

 

冷静に考えれば、行方不明の友人を探し出すために狂気とまで呼ばれている前人未到の世界最高峰を登る決意をする、この時点でめちゃくちゃ強いのだ。

 

彼の強さは随所で見られる。

K2の体調不良によるK2と梓ちゃんの下山に対して

八木山「ここで死なれても目覚めが悪いからなぁ…」

八木山「七浦の生存が絶望的なのは分かってる」

八木山「だから自分も一緒に下山する」

と答えられる。

 

友人の生存の可能性を冷静に吟味した上で、今生きている人を重視して対応できる。


第一登山隊の変わり果てた姿を見て、怯えるどころかより一層友人を助けに行く気持ちを強めることが出来る。

 

 

さらに八木山は、友人七浦が行方不明の時点では不眠に悩まされていたのに対し、七浦を看取った後はあの山脈の中で少しだけだが眠れている。

 

単純に考えれば、友の死に愕然とし、取り乱し、この時点で心が折れていてもおかしくない。

しかし八木山がそうならなかったのは、今回の登山の目的が『七浦が生きているか亡くなっているかハッキリさせるために捜索を行う』ことだったからだと思う。

八木山の不眠は、心配性と優しさが入り交じったが故の

 

「行方不明だから、七浦は死んでいるとも生きているとも断定できない」

「しかし、もしあの場所で生きているとしたら七浦はまだ苦しんでいるかもしれない」

「もしこのままだったら友人は今後も苦しみ続けるかもしれない」

 

という気持ちからだったのではと。


語弊があるかもしれないが、八木山は七浦の遺体を看取り安心できたのだと思う。

もう友人が苦しむことは無いと、友人の死を結末として受け止めることが出来た。

 

そう思ったのはナポリの男たちの生放送#️⃣147『hacchiの前世占い』で、愛する者たちの死を弔った前世を見たhacchiが

 

hacchi「寂しいけれど、やっぱりホッとする気持ちの方が強いです」

hacchi「もう苦しい思いをしなくていいんだなと…」

hacchi「寂しさもあるけど…もうこれ以上悲しくないなって」

 

と話していた内容が頭に過ったのが大きいのだが。

 

 

また八木山は、七浦を看取り気持ちを受け止め登山を続ける決心をした後、最後の関門であるピッチの挑戦中に

八木山「だんだん楽しくなってきた、登山が楽しくなってきた」

と発言している。


七浦を発見するまで、八木山にとって狂気山脈の登山はあくまで友人を見つける手段であって、目的ではなかった。

そこから友人の想いを経て正真正銘の最高の登山家になり、遂には友人の想いを遂げた。

 

さらに狂気山脈を制覇して出てきた言葉が

八木山「ようやく山に登る楽しさが分かった気がする。こういう気持ちを伝えたかったのかもしれん」

である。

最高の登山者すぎる、熱い、熱すぎる。

 

ここに八木山の強さと魅力が詰まってる。

 

 

だが七浦を看取ったあとも、八木山の心配性は終わることは無い。

いざ山脈から帰還せんと跳躍する直前。

八木山は志海に対して言葉をかける。

 

八木山「志海一応確認しておくが、ここに残ったりしないよな」

八木山「今度はお前が心配になってきた」

 

どこまでお人好しで心配性な人だろう。

そして悲しいかな、そんな人の心配ごとほど当たってしまうのだ、世の中というものは。

この志海とのやり取り後、八木山にとって最悪の事態が現実に起こってしまう。

 

 

志海の最後、

 

えべたん杉山「志海ーーーーー!!!!」

八木山「三郎ーーーーーー!!!!!」

 

と、八木山だけ名前を叫んだ。

志海と最期の言葉を交わした八木山は彼を友人と位置づけていて、だからこそ三郎という名前呼びが咄嗟に出たのでは…と思う。

そもそも何の気持ちも持たない相手に心配という感情が湧くわけがない。

 

七浦を探しに狂気山脈まで足を運んだ八木山、

最初は「志海とは険悪になる予感しかしない」と言っていた八木山、

志海と最後のやり取りを交わした八木山、

最後には咄嗟に名前呼びをするほど志海に情を感じていた八木山。

志海を探しに再びあの場所に戻るのは八木山を差し置いて他には居なかっただろう。

ただ八木山は志海を探す理由を「不眠を解決するため」「目覚めが悪い」「白黒はっきりつけたい」とあくまで自分のエゴであると認識した上で、志海の結末を見届けに行く。

 

 

八木山は、七浦が遺した「まだ終わっていない」を胸に登頂を続けた。

しかし下山後も、志海との決着を付けるため「まだ終わっていない」狂気山脈に再び赴く。

しかも「もう終わり」な志海を見つけることは、恐らく二度と訪れない。

八木山は、友人のためなら最後まで「もう終わり」の選択肢は選ぶことはないのだろう。

 

八木山はこれからも山に囚われる。

史上最強の登山家はいつまでも山という舞台から降りられない。

彼に安息の時間が、安眠出来る日が訪れることを、遠くから祈っている。

 

 

 

 

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志海三郎

 

 

狂気を制すのは、別の狂気か。

 

 

狂気山脈配信後も、よくTLで志海の名前は目にしていた。

何か志海の良いシーンがあったのかな〜、いや逆に…と頭で考え得る限りのハッピーエンドとバットエンドを予測し、心の準備をした。

 

 

甘かった。

MVPだよ馬鹿野郎ちきしょう

 


最後まで見届けて頭と心がごっちゃごちゃになる中で、そりゃあ騒がれるわなぁ…と何処か冷静に考えられてる自分もいた。

 

 

最初の印象は徹頭徹尾「やべーやつ」だった。

危険な目に合えば喜び、「痛いー?」その場でそんなこと言う!?と目を見開いてしまうような言葉も躊躇なく発言する。

ストーリーが展開するにつれて印象が変わっていったえべたん、杉山、八木山とは違い、とことんやべーやつを崩さない。

寧ろ志海を知るごとに志海が分からなくなっていく。怖い

 

 

そんな志海の印象が変わったのは、八木山と志海が悪夢を見たシーン。

 


志海「1人で登りたくなりましたね。みんなのことなんかどうでも良くなって。本当足手まといなんで君たち」

志海「嫌な夢見ましたね」

 


ここの「一人で登りたくなりましたね」「みんなのことなんかどうでも良くなって」の背景と意味を永遠に噛み締めてしまう。

1人で行くことで生と死を自分だけに完結したくなったのか、一緒に狂気山脈に臨むメンバーをどうでもいいと思っていたかったが故の自己防衛だったのか。

どちらにせよ、志海本人も気づいていないかもしれないところで3人に小さくとも感情を抱いていたことが分かって、彼のあまりの人間らしさに頭を抱えてしまった。

志海は非情で、他人はどうでもいいと考えてはいるけれど、同時に自分の気持ちに鈍感な面もあったのかもしれない。


恐らく、悪夢に出てきた志海の友人さんは「おちろおちろ」と志海の足を引き摺るような人では無かったのだと思う。

そんな人だったら志海もSAN値が削られるほど頭を悩ませないし、直ぐに受け入れて頭の中を処理できただろう。

しかしよりによって友人の方は、志海とも仲良く登山をするような、人に対して無関心な志海が友人と認識するような、良い人だった。


「おちろおちろ」のシーンはあくまで志海が、志海の頭の中で見た悪夢だ。

この夢には志海の罪悪感、苦悩を始めとした様々な感情が入り交じっていたのではと思わざるを得ない。

 

 

また登山中の志海は、危険に快楽を見出すし他人に興味を持たない(持とうともしない)が、だからといって自らの危険に人を巻き込んだり、イタズラに状況を悪くするような立ち振る舞いをしたりはしない。

過酷な状況で、手を抜かず自分がやれることは最大限にやる。

パラシュートだって人数分見付け、大いに貢献した。

危険と隣り合わせで生に向かって手を尽くしているその瞬間、志海は生きている実感を得られたのかなと。

 

 

そして、あまりにも印象的なこのやりとり

 


八木山「志海一応確認しておくが、ここに残ったりしないよな」

志海「いや、大丈夫ですよ」

八木山「ほんとうか?」

志海「大丈夫大丈夫」

八木山「次はお前のことが心配になってきた」

八木山「じゃあ先に行くよ」

志海「はい、いってらっしゃい」

 

 

志海の返答は「大丈夫」に終始している。


大丈夫という言葉は非常に便利なもので、イエスともノーとも答えていないのに肯定の意味に捉えてもらえることが多い。

そのため最悪の意味を裏に隠しつつ、自分は肯定していますよと相手に錯覚させることができる。

 

さらに「いってらっしゃい」は完全に送り出す側としてのセリフであり、後に八木山が思い出す言葉としては最悪の一言と言ってもいいだろう。

 

 

八木山を見送った後、志海が独りごちた

 

志海「はぁ…こんな日に限って死ぬんだよな」

 

この言葉が、もし志海の経験則から来るものだったら。

友人を失ったのが、今回のように絶頂を味わった直後だったとしたら。


皆で協力して狂気山脈に臨み、本人も知ってか知らずか感情を向けるようになり、前人未到の狂気山脈制覇も成し遂げた。

八木山の言葉から何か感じるものがあった可能性もある。

 

志海にとっては人生の絶頂だっただろう。

だからこそ「そんな最高なときに限って死ぬ。人ってそんなもんだよな」と感じたかもしれない。

ここは本当に千差万別の解釈があると思う。

 

 

その後、志海自身は山への魅了を振り切ったのに、その山に愛されたとしか思えない運命を辿った。

 

志海「生きてるー!!」

 

気絶した志海を狂気山脈から救うべく、えべたんも杉山も八木山もむつーさんも手を尽くした。

それでも志海は救いの手を何度も何度もすり抜けていった。

 

志海「生きたぞー!!」

 

志海三郎は狂気の中に消えていった。

まるで最初から志海はああいったラストを迎えると定められていたかのような、あまりにも呆気なくて綺麗な終わり方だった。

 

4人の中で経歴があまりにも"普通"な彼が、山も登場人物も視聴者も全員を魅了させて、全てを精算して消えた。

山に置いていかれた立場でありながら、登場人物も視聴者も含めた全員を置いていった。

 

 

1番取っ付きやすそうな表情を浮かべながら自分について多くを語らず、かと思えばふとした瞬間に人間らしい機微を零す。

志海はどんな時に何を考え、どんな心境だったのか。

最後まで見届けた今でも、本当に分からない。

 

無意識下で3人に多少なりとも思うところはあるが、他3人のようにそれをキッカケに価値観が変わることはない。

最後まで自分のために、自分の意思で自分のために生きていった。

 

そして志海三郎は、本当の孤高の人になった。

 

そんな人間だったらいい。

 

 

 

 

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エンディング

 

 

狂気山脈から無事帰還したえべたん、杉山、八木山。

そして狂気山脈に消えた志海。

この4人のその後について考えると、時間も脳のキャパもいくらあっても足りない。

 

 

『狂気山脈への挑戦』をチャンネル登録者増加の橋掛けにし、利用しようとしていたえべたん。

登頂直後はYouTubeを続けるから見て」と語っていたえべたん。

そんなえべたんが、エンディング後は友人たちとの登山の約束を果たし、YouTubeを引退して表舞台から姿を消した。

 

 

1番に拘ったが故、これまで目に見える形で証明される強さを追い求めていた杉山。

そんな杉山が、下山後は夢という無形のものに縋って日々を溶かしていく。

自分の中で完結している願望に焦がれながら、寂れたタピオカ屋を開いて友人をいつまでも待っている。

 

 

八木山は狂気山脈の危険を知り制することで、これ以上犠牲者を出さないようにしたいとも考えていた。

そんな「狂気山脈に立ち入る人が出ないように」という思いは、八木山自身によって叶わないものとなった。

そして八木山の「穏やかな日々を送りたい」という夢も、今後恐らく、叶うことは無い。

 

 

そして志海。

彼に関してはあまりにも想像の余地がありすぎる。

 

志海が意識を失った時、体力自体は6残っていた。

あの後、気絶したままだったのか、それとも意識が戻ったのか。

少なくとも即死では無いだろう。

もし意識が戻っていたとしたら、ボロボロになった体を動かすことも出来ず、ただただ雪に体温を奪われていく感覚を味わった志海がいた可能性もあるわけで…

 

また、第一登山隊たち、つまり今まで狂気山脈に挑んできた人達は(原型は留めていなかったとは言え)発見されたのに、志海の痕跡は何一つ見つからなかった。

志海は狂気の向こう側に行ってしまったのか。

狂気の一部となったのか。

それとも未だあの地で狂気とスキップでもしているのか。

 

 

今回のエンディングにここまで心かき乱されるのは、このエンディングは志海本人にとっては最高な最適解であったのに対し、3人にはとてつもなく大きな傷を残す残酷な終わり方だったという救いようのない温度差があるためだろう。

 

1番最初に登頂を果たした志海は、その称号を握ったまま1人消えてしまった。

えべたん、杉山、八木山は報道陣や周囲の人に今回の登山について何度も語る機会がある。

その度に、3人は否が応でも志海を助けられなかった現実を直視させられるのだ。

 

インスタフォローの約束も、友人の痕跡を見つけることも、再びあのメンバーがタピオカ屋に結集することも、恐らく叶わない。


志海は置いていかれたなんて一欠片も思っていないだろうけど、3人はいつまでも「仲間を置いていってしまった」という自責の念に苛まれる。


志海の気持ちを考えるとハッピーエンドだが、全員の気持ちを考えると決してハッピーエンドとは言えない。

志海にとってあの舞台で終われたのは幸福だったのではと思いつつ、しかし志海が好きな自分の「生き延びて欲しかった」というエゴを捨てきれない。

エンディングに納得はしつつも、嬉しいとまでは思えない。

この何とも言えない気持ちの揺れ動きに囚われて、いつまで経ってもこの山から下りられない。

 

 

 

私はまだ、あの狂気山脈を振り切れずにいる。